ブッタの「苦」の教え。(前編)
仏教は、おしゃかさまが「人生における苦しみからの解放」を求めた事からはじまりました。
前編では「苦」というキーワードから、おしゃかさまの伝記をたどってみたいと思います。
- 仏教について、これから学びたいと思っている方。
- 宗教・宗派の「〇〇だけが正しい」という話に疲れてしまった方。
おしゃかさまの苦しみ
母を失う。
おしゃかさまの本来のお名前はシッダールタといいます。
王族のお生まれだったので、周囲からはシッダールタ王子と呼ばれていました。
お母様は、シッダールタ王子をお生みになって7日後にお亡くなりました。
シッダールタ王子は感受性が強く、とても傷つきやすい性格だったそうです。
お父様である浄飯王は、そうしたシッダールタ王子の姿を憂い、王子が傷つかないように特別な王宮を建てるなどして、王子があらゆる苦しみを感じないようにと守ったのだそうです。
無常を知る。
これは、王子が幼い頃の話です。
農耕祭が催されたおり、たくさんの牛たちが鋤(すき)を付け、田を耕していました。
すると、耕された土の中から、小さな虫たちが掘り起こされたそうです。
それを見つけた小鳥たちがその虫たちをついばみ、さらにおおきな鳥がその小鳥を襲う姿をシッダールタ王子は目の前で観たそうです……。
王子はこの「食物連鎖」や「弱肉強食」といわれる姿に、とても傷ついたそうです。
命はなぜ、互いに傷つきあわなければいけないのか……。
あまりにも感受性の強いシッダールタ王子を観て、浄飯王はますます王子を「痛みや苦しみ」から遠ざけようとされたでしょうね……。
四門出遊
そんなシッダールタ王子に転機が訪れます。
あるとき、シッダールタ王子は、世間を見聞しようとお城の門からの外遊を計画します。
お城の四方にはそれぞれ門があったそうです。
まず、はじめに、東の門から出たとき、そこで「老人」に出会います。
浄飯王は当時、シッダールタ王子が苦しまないよう、シッダールタ王子の付き人をすべて「若い人」にしていたそうですよ。
ですから、はじめて「老人」という存在を見た王子は驚きました。
そしてそこから「自分も含めて、いつか人は老いていく」という事実を知ったのだそうです。
次に、南の門から外遊した時、そこで「病人」と出会いました。
浄飯王はシッダールタ王子の付き人をすべて「健康な人」としていたそうです。
ですから、はじめて「病人」を見た王子は驚きました。
そして「自分も含めて、人は常に病にかかって苦しむのだ」という事を知りました。
次に西の門から外遊した時に、そこで「死人」と合いました。
はじめて出会った「死人」に、シッダールタ王子はびっくりしました。
そして「自分もいつか死を迎える」という事を知りました。
さらに北の門から外遊した時、そこで出家者と逢いました。
物質的な豊かさを求めず、内面のやすらぎに集中している出家者の姿を見たとき、シッダールタ王子は「生老病死」の苦しみの答えを見出すべく、出家したい!と思ったそうです。
このお話は伝承ですから、どこまでが本当の話かは分かりませんが、シッダールタ王子が生老病死の現実を知った時、人生において、王様の地位を継ぐことよりも「苦しみの解決」を求める事の方が大切なんじゃないかと思ったというのは間違いのない事のようですね……。
目的は苦の克服
出家をしたシッダールタ王子は、当時高名であった二人の瞑想指導者の元へ向い、瞑想方法を習います。
王子はすぐにその瞑想を極めますが、それでも「苦しみの克服」には到りませんでした。
満足しなかった王子はその後、6年間の苦行生活にも入ったのでした。
過酷な修行を続ける姿に、天の神々の中には「シッダールタ王子が亡くなった」と考える者もいた程だったそうです。
菩薩はウルヴェーラという密林へと向かいました。
当時は、覚りを得るための唯一の道は厳しい苦行を実践することであるという考え方が修行者の間に流行していました。
そのため菩薩はウルヴェーラの密林で6年間に渡り苦行を実践されました。 食事を節制し、難しい修行を厳格に実践しました。1日で果物ひとつしか食べず、時には全く食事をとらない日もありました。 過酷な努力により菩薩の肉と血液は水分を失いました。 菩薩の証しである32の特別な体の相[lakkhana:三十二大人相〕 は消え去り、金色の身体は輝きを失い灰色になってしまいました。
腹部の皮膚がへこんで脊椎に達するほどでした。 神聖な菩薩の身体は痩せ細り骸骨のようになりました。 実際菩薩は死にかけていました。 頭皮は萎んで皺だらけになり、日にさらされて乾いた小さな瓢箪の様でした。
極度に体力が落ちていたため呼気と吸気を対象に冥想しながら歩いていたときに気を失って倒れてしまいました。 神々の中にはシッダッタが死んでしまったと考える者もいました。
「ブッタの教え 基礎レベル」ミヤンマー連邦共和国宗教省 サンガ出版p51
このような苦しい修行をしても、シッダールタは「苦の解放」までには到らなかったのでした。
中道(ちゅうどう)の発見
そんな修行を続けていたある日、川のほとりで瞑想していると、船に乗っている琴弾きの師匠とお弟子さんの会話が聞こえてきました。
師匠が弟子に、
「弦は張りすぎると切れてしまう。緩みすぎると音が出ない」
といっているのが聞こえ、それを聞いた時にシッダールタは自身の修行における過ちに気づいたそうです。
お城の中で自身が受けてきた「苦しみのない」生活も極端ならば、自らを「苦しめ続ける苦行」もまた極端。
そのどちらにも偏らない「中道」にこそ、悟りに到る道がある、と発見したのです。
その後、いくばくかの食をとり、健康を取り戻したシッダールタ王子は、菩提樹の元に静かに座り、自身の心を観察し続ける瞑想「ヴィッパサナー瞑想」に修行を切り替え、ついに「悟り」を得た、といわれています。
ついにシッダールタ王子は「苦しみの克服」に到り、悟った人「ブッタ」となったのでした……。
後編に続く……。