仏教の話

「苦」とは何か?(四聖諦①)後編

What is suffering?
kutei

前編をまだお読みでない方は、こちらから先にお読み下さいね

合わせて読みたい
「苦」とは何か?(四聖諦①)前編
「苦」とは何か?(四聖諦①)前編
こんな方に読んで欲しい。
  • 人生における苦しみを「どうにかしたい」と思いだしている方。
  • 人生の苦しみについて、仏教はどう考えているのかを学びたい方。
  • 仏教について、これから学びたいと思っている方。
  • 宗教・宗派の「〇〇だけが正しい」という話に疲れてしまった方。

ドッカとは?

四苦八苦のなかの八苦について。

愛別離苦

愛する存在と別れなければならない事は苦しみです。
もうこうして会話する事さえできなくなるのですから。

しかし私たちは「何かを愛する」のです。
それは人だったり、動物、植物だったり、おいしい食べ物だったり……。


手にしたときは喜びですが「手にする」という事はいつか「失う」事になるのです。
「出会い」と「別れ」はワンセットです。


「対岸の火事は気にならない」といいますが、自分に関わりのないものにはそれほど苦痛を感じません。愛がある故に喜び、そして喜びを生むものも「永遠」ではないので、いつかは「苦しむ」事になるのです。

The pain of parting with a loved one
愛するものはいつか、いつでも離れていく……。

そして、愛するものは「常に求めるもの」である、という事でもあります。

わたしたちは食べないと生きていけませんから、常に供給し続けます。

しかし同時に消費し「失い」ます。

食事もお金も、酸素も、必要なものの全てが手にしたとたんに「失われ」るのです。

つまり「愛別離苦」とは常にわたしたちと共にある「苦」である、という事ですね……。

怨憎会苦

反対に「嫌いな人と会わなければいけない」苦痛もあります。

会いたくなくても、会わなければいけない人も存在します。


これは「社会に所属する苦しみ」ともいえるかもしせません……。


会う人を自分で選択できるなら、こんなに楽な事はないのですが実際は難しいですよね。

I want to stay away from unpleasant things
嫌なものからは離れたいけれど、近づいてきたりする……。

そして嫌いなものはよくよく考えると「近づいて」きます。

「死や病気、老い」も常にわたしたちを追ってきていますよね……。

生きていれば問題も生まれますし「生老病死」の所でお話したように、肉体的、精神的「苦痛」は生きている以上「会いたくなくても常に追ってくる苦」となります。

つまりわたしたちには常に「怨憎会苦」の苦しみがつきまとっている、という事になります。

求不得苦

欲しいものが手に入らない苦しみです。

生きる苦しみの所でお話させて頂いた事ですが、私たちは生きているだけで苦しいので、常に新しい刺激を自然に求めます。

しかし求めた刺激が必ず得られるか、といったらそんな事はありませんよね。

人に対しても「ああして欲しい」「こうして欲しい」と欲求しますが、人は思い通りには動いてくれません。

かくして私たちは常に「欲求不満な状態」を経験し、苦しむ事になります。

Suffering that cannot be obtained
手にする事が出来ない苦しみ……。

さらにわたしたちの体は、飲食出来るものがないと維持できません。

呼吸もしないと、死んでしまいます。

しかしここでポイントなのは、わたしたちは「お腹が減ったから」食べているという事です。

これって、さきに「苦しんでいる」って事です。

酸素を吸って吸って……それが気持ちよかったのなら、多分ずっと「吸い続けて」いますよね……。

しかし、途中で苦しくなるから「吐く」訳です。

さらに吐いていて気持ちが良ければずっと吐いていますが、途中で苦しくなって、今度はまた吸い出す事になります。

つまりわたしたちは常に「足りない」という苦しみを感じ続けているという事になります。

どうもわたしたちは常に「求不得苦」を感じていることになるようです。

五蘊盛苦

五蘊盛苦 とは「感覚があるからこそあるからこその苦しみ」といえます。

五蘊とは、色、受、想、行、識、の五つです。
それぞれを簡単に説明しますね。

1.色(しき):私たちの身体や物質的など「形」があるもののこと。「身体」

2.受(じゅ):何かを見たり聞いたりする時に感じる痛みなどの感受作用のこと。「感覚」

3.想(そう):考えたり思ったりすること。「概念」

4.行(ぎょう):実際に行動したり言葉を話したりすること。「衝動」

5識(しき):物事を認識したり理解したりすること。「意識」

仏教ではこれらの五蘊(色、受、想、行、識)がそれぞれが関連し合い、私たちの心や体の機能を形成していると考えています。

I suffer because I have feelings
感覚があるからこそ苦しむ……。

その五蘊があるからこそ「苦しみがある」というのですね。

そして今度はこの五蘊が衰えていけば、それもまた苦しみです。

今まで体験していた喜びを体験できなくなる訳ですから……。

まとめ

今回は、苦についての説明をさせて頂きました。

苦しみが生命

今回の話のポイントは、私達の命とは別に「生老病死」の苦しみがあるよね、という話ではなく「私達の人生そのものが苦」である、という所です。

おしゃかさまはこの事を「一切皆苦(いつさいかいく)」という言葉で顕しています。

わたしたちが生きるという事は「苦」とは離れ慣れない、という事のようです。

世間では「感覚を喜ばせてくれるものに囲まれる(困らない)事が幸せ」と考えるでしょうから、全く逆の価値観なります。

解脱の為の教え

「四諦」の教えは「解脱に到る為の教え」です。

「なぜ、この世界には苦しみが多いのだろう」と悩み始めた人達が答えを得れるような教えです。

ですから「人生まだまだ楽しい事ばかり」という人には、全く響かない内容かもしれません……。

しかし、もしいつか「人生に限界を感じだした時」がきたら、この話を思い出して欲しいのです。

私達の終わらない欲望が「苦しみを作り出している」ということがありますから……。

それに気づけただけでも救いとなる事があろうからです。

生きとし生けるものが幸せでありますように。

くてい 拝

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まやば くてい
まやば くてい
僧侶・カウンセラー
仏教が取り扱う範囲って結構ひろいです。私はこのサイトを通じて、これから仏教を学ぼう、という方に、まずは広い目で「仏教や、宗教のできた土台」を学んで頂き、そののちに興味の方向にあわせて学びを深めていく事の、お手伝いができたら良いな、と思っているんです。
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