八正道⑥「正精進」について(後編)
まだ前編をお読みでない方は、こちらから先にお読み下さいね。
正精進とは
四つの教え
おしゃかさまは、四つの方法で「正しい精進のやり方」について説明されました。
- 律儀断ーまだ生まれていない悪を防ぐ。
- 断断ーすでに生まれてしまった悪を駆逐する。
- 修断ーまだ生まれていない善を増進する。
- 随護断ーすでにある善を保護する。
この四つの行為は互いに関係しあっています。
すこしづつ悪を減らして、善なる心を育てていくのです。
それでは、この四つの精進について、それぞれを観ていきましょう。
律儀断
まずは「悪心が生まれるのを防ぐ」という努力ですね。
人は「悪いこと」に惹かれがちです。
怠けること、欲望に溺れること、感情のままに行動すること……。
「体に悪い」と言われる食べ物って、驚くほどおいしいモノばかりですよね(笑)
しかし、そうした行為は「後で後悔」を生みます。
でも、なかなか止められない……。
おしゃかさまは「欲望や本能のままに生きる事は、結局は、人生の安らぎには到っていない」事を発見しました。
「君子危うきに近寄らず」という言葉がありますが「欲望の原因になりそうなものには極力近づかない」というのが、結果は、新しい苦しみを造らない為の「積極的な努力」となるようです。
断断
次は「今、心の中にある悪心をなくしていく」という努力です。
先ほどもお話させて頂きましたように、心の中に「悪感情や、欲望」があれば、私達の行動は「反応」なので、どんなに頭で道徳を知っていたとしても、自分の言動は「制御」しきれません。
すでに心の中にある「悪感情や欲望」は、これからも自分を悪い言動に導く「原因」となります。
積極的に悪心を取り除いていく「努力」が大切となる、という事です。
修断
次は「積極的に、善行為をしていく」という努力です。
私達の行動は「反応」なので、自分の内側に悪心があれば、それに沿った言動を。内側に善心があればそれに沿った行動を起こします。
故に、積極的に「訓練としてでも」善行動を選んでいく事は、結果「自分の突然の言動を、良いモノにしていく」事になります。
なぜなら、我々の行動は「反応」だからです。
随護断
次に「今、既に行っている善行為は保っていく」という努力です。
すでに為されている善行為は、やめないように努めてください。
人は堕落していくのは簡単です。
今ある「善の種」を積極的に保護していくのです。
そのうえで新しい「善行為や善習慣」を積み上げていくという訳ですね。
四つの「正精進」は連動しています。
今ある悪心は取り除き、悪い原因を造らないように悪因の元からは離れ、今ある「良い原因」は積極的に保ち、さらに「良い原因」を積み上げていく……。
シンプルですが、ブッタの教えは完ぺきで素晴らしいです。
こうして実践していくならば、人生はどんどん良くなっていくのではないでしょうか。
まとめ
如何でしたでしょうか。
仏教の教えには「なぜ悪心を止めなくてはいけないのか」の答えがちゃんと説かれています。
何より、ブッタの清らかな教えに触れてると、それだけで心が「清らかに」なってきます。
八正道の他の教えのブログも、一緒に読んで頂ければ、よりいっそう理解も深まって頂けると思いますので、ぜひご参考にしてみてくださいね。
お坊さんがお経を読む理由。
お坊さんがなぜ、日々「お経を読むか」といえば、本来は「ブッタの教えを確認するため」だったそうです。
それが大乗仏教になると、たくさんある経典の中でも、宗派が選定している「特定の、信仰に関わるお経」ばかりが重視されていったので、経典も「特定の信仰を深める為」や「不可思議な力を求めて」読まれるようになりました。
『大乗経典読誦の功徳』なんて言葉があるくらいですからね。
その結果「八正道」などの「初期経典」で説かれていたような教えは、大乗仏教教団の中では、あまり重要視されなくなってしまいました。
しかし本来お経を読む事は、日々忘れたり、おろそかになってしまうブッタの教えを改めて読んで教えを確認し「人格を形成させていく」為だった訳です。
私は、みなさんが「八正道」について書かれている良い本や、ブッタの教えを調べてみて良いと思った言葉は、そのままの言葉では難しかったとしたら、要点を自分の言葉でまとめてもいいですから、日々暗唱していくこともいいんじゃないかと思っています。
するとモチベーションもあがって、八正道の実践(正精進)が無理なく進めていけるようになると思いますよ。
生きとし生けるものが幸せでありますように。
合掌くてい 拝