ブレイクブログ「修行の旅に出る話」
今回はブレイクブログとして、私が人生に悩み、長期間の人生探究の旅に出るキッカケとなった話をさせて頂きたいと思います。
- 仏教について、これから学びたいと思っている方。
- 宗教・宗派の「〇〇だけが正しい」という話に疲れてしまった方。
お坊さんの資格をとってすぐの頃の話……。
お坊さんなってから……。
私は一番最初の自己紹介ブログで、高校を卒業してからお坊さんの修行道場に入ったというお話をさせて頂きました。
その後、私はいわゆる僧侶の資格を頂き、地元でお坊さんとして活動する事にしました。
関西の大きなお寺の職員として働くお話も頂いていたのですが「職員として『働く』よりも、修行者として生活している事の方がお坊さんらしいのではないか……。」という思いから、そのように決定したのでした。
とはいっても、地元の師匠のお寺は小さなお寺ですし、師匠と私という、二人のお坊さんが食べていく事はできません。
こんな時、現代の日本のお坊さんの多くは、生活のために「副業」を持つ事になるのですが、僧侶であった亡き祖父が「坊主は二足のわらじを履いたらいかん」という信念を持っていたので、わたしもその当時、なんとなく「お坊さんとは、そんなもんだろう」と思い、就職はせず、地元の大きな修行寺に所属しながら生活を始める事にしたのでした。
選びたくて楽を選ぶのだけれど……。
この当時、私は団体の修行生活から解放された事からすっかり開放的な気分になり、だんだんと最初のこころざしを忘れ、生活のリズムを崩していました。
普段は、空いているお寺にひとりで留守番として住むことになりました。
朝寝坊しても注意される事がなくなっていましたし、食事も団体生活ではありませんから、好きなものを食べれます。
元々趣味だった作曲を生かすためにバンド活動もはじめて、さらに人生はじめての彼女まで出来て……。
私の生活はだんだんと「一般化」していっていました。
これでわたしの仕事が一般のお仕事だったならば「仕事もプライベートも充実して良かったですね~。」とでもいわれそうな所なのですが……。
私の心の中には「お坊さんはこうあるべき」といった思いもありましたから、同時に「罪悪感」も生まれ、私の身心はいつも重苦しいままでした。
選択するときは、もちろん好んで「楽な方」「楽しい方」を選ぶんですが……。
でも心が苦しい……。体も重い……。
それは、なんともいえない日々でした……。
さまざまな挫折……。
そんな中、さまざまな出来事が私に起こりました。
彼女に振り回される。
はじめてお付き合いした彼女は「自律神経失調症」だったそうです(本人の話では)。
気分の浮き沈みが激しく、よく泣いたり怒ったりする子でした。
私にも問題があったと思いますが、彼女の不条理に思える言動に終始、振り回されていました(笑)。
ある日の話です。
私は彼女を励まそうと「明日も仕事、がんばってね」っていったんです。
すると「がんばれって私にいわないで!」と、いきなり怒られる、という出来事がありました。
あとから本で読んで知ったんですが「自律神経失調症の方に『がんばれ』っていう言葉は禁句」と言われているんですね……。
もうすでに頑張っているのにうまくいかないことが「自律神経失調症」になってしまった理由だというのに、その本人にさらに「がんばれ」という事は「まだ私にがんばれって言うの?」って相手を追い込んでしまう事になる、というのです……。
その時、はじめて知りました。
その後、しばらくして彼女とは別れる事になるのですが、私はこの出会いを通じて、自分が「良かれ」と思ってやる事が人を傷つけてしまう、という事に「他者とのコミュニケーションを取ることの難しさを」を学ばされました。
恵まれているから気づけない事。
同じ頃、年の離れた友人ができました。
彼は、家庭環境があまりよくなかったらしく、親元を離れて、私が住んでいた地域のアパートで一人暮らしをしていました。
彼には「沖縄に住む」という目標があり、夜の居酒屋のバイトと、夜中のコンビニのバイトでそのお金を貯めていました。
ある時、彼が「くていさん、オレ、死にたいっすわ」と言ったんです。
私はとっさに「生きたくても生きる事ができない人達もたくさんいるんだから、そんな事言ったらだめだよ~。」って言ったんです。
すると彼は「ま、くていさんには分からないでしょうね~」とぽつり、と言いました……。
私はその言葉に、ショックを受けました……。
私は「綺麗事」を言っていられる程、恵まれた環境にいるんだな……という事実に、この時はじめて気づかされたのです……。
悩み相談での失敗。
私は当時から、人の悩み相談を受けることがよくありました。
あるとき、友人の悩みの相談を受けながら、私自身もどうアドバイスしてよいか分からず、一緒になって「う~ん、う~ん」と悩んでいました。
するとその友人から「なんだか、くていさんに相談を受けてもらってたら、さらに暗い気持ちになってきたわ~。」と言われてしまったんです。
またあるときなどは、人の問題に介入しすぎた結果、私までその問題に巻き込まれて「怨まれる」といった事もありました。
その全てが「自分の不徳の致すところ」というやつなのですが、人の悩みに対して、どのように向き合えば良いのかを考えさせられる出来事となりました。
人気の占い師さん
私の地元には「全国から人が相談にやってくる」といわれる、人気の占い師さんがいました。
私の友人なども、何か悩み事がある度に相談に行っていました。
私も当時、ご縁を頂くことがあって、自分の悩みを聞いてもらう事もりました。
もうおじいちゃんなのですが、とても魅力に溢れた方でした。
だたある時、私はふと思ったんです。
それは、何か問題があったとき、本当に多くの方が、お坊さんではなく、その占い師さんを頼られている、という事実です。
もちろん、やっている事の違いや、求められている事の違いはあるとは思うんですよ。
しかし、おしゃかさまの教えは自体は本来、とても魅力的なもので、きっと同じようにお伝え出来る事があって「仏教の教えで楽になりました。」って喜んで頂けると思うんです。
しかし、実際は、悩み事があったとき、人々はその占い師さんを訪ねています。
単純に、私や、今のお寺やお坊さんのありかたに、その占い師さんと同じだけの魅力がないんだろうな、と、私はひとり、反省させられたのでした……。
10年計画
リセット
このようにいろいろな出来事があった中で、私はこの頃「自分の人生をリセットしたい」と常に思うようになっていました。
もう一度、いろいろな事を勉強し直そう……と思ったのです。
そして「自分を救い、他者をも助けられるような道を見つけて地元に帰ってこよう」と思うに到ったのでした。
体を整える。
そこでまず冷静に考えたのは「自分は今、修行道場に入っても、すぐに根を上げてしまって、すぐに来た事を後悔してしまうだろうな。」という事でした(笑)
なにより、いつも体がぐったりしていて力が入りません。
ですから、まずは「体を整える事を勉強しよう」と思いました。
自分の体が修行でぐったりしたり、やる気が出てこないときに、自分で自分の体を調整できるのっていいな、と思ったのです。
そこで思いついたのが「整体」などの「手技」を学ぶ事でした。
人は、裸で生まれて裸で死んでいくというのなら「この機械や薬がないと救えません」ではなく「自分の腕だけで人を元気にできる方がお坊さんらしいな」と思えたからです。
その頃の私のイメージとしては「整体は筋肉の専門家」「カイロプラクティックは骨の専門家」というイメージがありました。
ですので、その両方を学べる学校を探すことにしました。
心を整える。
自律神経失調症だった元彼女の病気は、まだ治っていないままでした。
さらに「がんばれって言わないで!」と言われた事は私の中ではとても大きな体験で「あの時、どのような対応をしたら良かったのか」というのは私のテーマでした。
どう伝えたら「人の心に伝わるのか」を知りたいと思いました。
彼女とはその頃はよい友達だったのですが、彼女を元気にする事はできないのだろうか、その方法を知りたい……という思いは変わらずありました。
ですから同時に「心理学、カウンセリングを勉強したい」と考えるに到りました。
見えない世界に向き合いたい。
お坊さんは死後の世界を説きます。
しかし、死後の世界を本当には体験していません。
もちろんそれを体験した時は「死ぬとき」なのかもしれませんが……(笑)
それにしても私は、見えない世界に対して「何も」知らないので、わたしは単純に「本当の所を知りたい」と考えました。
体験しなければ何も確実なことは語れない思ったからです。
東京に発見。
整体とカイロプラクティック、そして心理学を学べる場所を探していたら、東京にそのすべてを一度に学べる学校がある事が分かりました。
さらに「気功」という「目に見えない世界の授業」もあるというのですから、私が学びたい全ての事が一カ所で学べます。
自分がまさか東京に行くなんて考えた事もなかったのですが……。
まずは東京で身心の勉強を四年。そのあと大学にいって他宗派の勉強を四年。そのあと他宗派のお寺で修行を二年間。
合計10年。
私は、合計10年の修行計画を立てました。
その資金を稼ぐために、昼間はお坊さんのお仕事をして、夜はアルバイトをし、学費と引っ越し費用を貯める。
安定した生活を捨てる事には不安もありましたが……。
しばらくはそんな日々を過ごす事となったのでした……。
つづく……。
生きとし生けるものが幸せでありますように。
くてい 拝。