八正道③「正語」について(前編)
今回は、八正道の「正語(しょうご)」についてのお話をさせて頂きたいと思います。
まだお読みでない方は、ぜひ前回の「正見」「正思惟」のブログを読んでみてくださいね。
「正見」について
「正思惟」について
私たちの日常。
言葉の失敗
私たちの日常の中には「あんなこと言わなきゃ良かった……。」とか「なぜあのとき、ちゃんと言っておかなかったのだろう……」と「会話での失敗や後悔」って結構あるんじゃないでしょうか……。
しかし、会話をする上での失敗や後悔は無くならないのに、あんまり「話す事について」じっくりと考えた事がないって人、多いと思うんです。
なぜなら、そんな事をいちいち考えるまでではないほど「会話をする事」って、私たちにとって「当たり前すぎる事」だからなのではないでしょうか……。
ビジネスでの会話ならまだしも、普段の会話で「アレ言っちゃいけない」「コレ言っちゃいけない」と気にしながら話をするなんて……。ちょっと現実的ではない気がします……。
しかし、会話でのトラブルも無いにこした事はありませんよね……。
何か良い解決方法はないのでしょうか……。
言葉は「反応」で生まれている。
そもそもこの問題は「私たちは(話す内容を)自分で選んでいて、だからこそ、話す内容に気をつけなければいけない」と思っているからこそ出てくる悩みだと思うんです。
しかし、本当に私たちは「話す内容を自分で選べている」んでしょうか?
会話は自動的……?
私たちは普段の会話を、毎回じっくりと「考えながら」行ってはいませんよね……。
多くの場合、相手が言った言葉に対して「自然に言葉が浮かんできて」それを相手に返しています。
そして相手も、その言葉を受けて、浮かんできた言葉を返してきます。
さらに又、その言葉に対して浮かんできた言葉を相手に返します。
まるでテニスか卓球の打ち合いのように……こうして会話のラリーが続いていく訳です。
つまり「会話って『反応で行われている』」ってことです。
相手が言った言葉に対して、心が荒んでいればその状態に伴った言葉(反応)が。
心が穏やかであればそれに伴った言葉(反応)が「浮かんできて」その言葉を「自動的に」しゃべっている……。(しゃべらされている?)
考えてみると恐ろしい事なのですが……。
それが実際のようなのです……。
なぜ「言葉の訓練」をする必要があるのか。
故に、言葉だけ「美しい言葉」を知っていても、話すときの「作法」が美しくても、心も一緒に整えていかなければ、この問題は解決しません。
だからこそ「八正道」では正しい言葉を使う為には、物事の見方(正見)や考え方(正思惟)も整えていかねばならない(連動している)と、教えているのですね。
これが「八正道は連動している」という意味になります。
そして逆説的に言えば、邪な言葉使いを「意識的に」避け、正しい言葉を「意識的に」使うように「訓練」していく事で「物事の見方や心の状態」もどんどん変化していきます。
その結果、やっと私たちはこの世界に「主体的に参加」する事ができるようになるのです。
そして、良い言葉を意図的に使う「訓練」をする事で、心も整っていき、その結果「反応で出てくる普段の会話の言葉でさえも整ってくる」という訳なのです。
「人生が好転」してきます。
ですから、あえて私たちには「言葉の訓練をする時間(訓練)」が必要、という訳なのです。
それが、おしゃかさまが説かれた「正語についての修行(訓練)」となるのです。
「正語」とは
どんなことに気をつけるのか?
それでは「正語」について説明する前に、おしゃかさまが戒められた「使ってはいけない言葉」を四つご紹介します。
- 妄語(もうご)/嘘をつくこと。
- 両舌(りょうぜつ)離間語(りかんご)/仲違いさせるような言葉。噂話。
- 悪口 (あっく)粗悪語(そあくご)/荒々しい言葉や、人を苦しめる言葉
- 綺語(きご)/無駄話(むだばなし)
この四つに対し「正語」は、そのそれぞれを否定するような内容になっています。
- 不妄語(ふもうご)/嘘をつかない。
- 不両舌(ふりょうぜつ)/仲違いさせるような話、噂話をしない。
- 不悪口(ふあっく)/荒々しい言葉を使わない。
- 不綺語(ふきご)/無駄話をしない。
それぞれについてくわしく見ていきましょう。
妄語/不妄語「真実を話すこと」
正語の①番目は「嘘を言わない」という事です。
おしゃかさまは経典の中でこのように説いています。
その言葉が、真実ではなく、事実ではなく、
『8マインドフル・ステップス』バンテ・H・グラタナ著 出村佳子訳 サンガ出版 p140
利益をもたらさないと知るなら、
[ブッダは] その言葉を語りません。
その言葉が、真実であり、事実であり、
利益をもたらすと知るなら、
[ブッダは] それを語る時を知っています。
その言葉が、真実であり、事実であり、
利益をもたらすと知り、適切な時である場合、
聞く人が「好まず、不快なもの」か、あるいは
聞く人に「好まれ、喜ばれるもの」 かにかかわらず、
ブッダはその言葉を語ります。
(中部経典五八)
おしゃかさまは、どのような状況においても「嘘をつくこと」を戒められました。
嘘をつくと心が汚れてしまうのです。
先ほどの「会話は反応」の話を思い出して下さい。
会話はとっさの「反応」ですので、心が嘘で汚れていると、とっさに出てくる言葉に「嘘が混じってくる」ようになります。
嘘をつくことが平気になっていくのですね。
すると「嘘」が「嘘」を呼び、どんどん心が汚れていくことになります。
さらには「嘘をつく人」が周りにも寄ってきます。
「自分に許している」という事は、無意識に「他人にも許している」という事にもなるのようなのです……。
ちょっと、コワイですね……。
これでは「人生が好転していく」とはとてもいえません。
ですからぜひ「嘘をつかない」という訓練にチャレンジしてみてください。
他の教えも併用しながら訓練していくと、少しずつ人生が好転していくのが実感できると思いますよ。
両舌/不両舌「人を傷つける言葉を使わない」
正語の②番目は「人を傷つける言葉を使わない」という事です。
おしゃかさまは「なるべく、人同士が仲良くできるような会話を心がけなさい」と、おっしゃっています。
そして「噂話や、人を仲違いさせてしまうような話を止める事」を勧めています。
両舌(二枚舌)や、人の悪口ばかり言っている人には「そんな話に耐性のついた猛者達」がどんどん集まっています(笑)
つまり自分が両舌する事を「許可」しているので、周りのもそのような人が集まってくのですね。
きっとそんな方々は、あなたの前では誰かの噂話や悪口で盛り上がっていますが、あなたのいないところでは「あなたの噂話、悪口」で盛り上がっていますよ(笑)
両舌によって「仲違い」をさせてしまったら、自分も誰かに「仲違い」させられます。
故に「両舌」を止め「人が仲良くなる話」をする事をおしゃかさまはお薦めになっているのですね。
後編に続く……。