八正道④「正業」について(4/4)
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正しい行いとは?
邪淫をしない。
正業の三つ目は「邪淫をしない」です。
邪淫というと「よこしまな性欲」といった意味に受け取れます。
仏教が定義する「淫らな行為」には「暴力などによって性的関係を求める」事や、婚姻している人との性的関係、未成年、動物との性行為などが含まれます。
いわゆる「違法な性行為」という事ですね。
一般の方に対して「同意した上での、成人同士の性行為」に関しては、仏教は問題視していません。
それでは、こうした性行為の何が問題なのでしょうか。
裏切り。
こうした行為をする事によって、例えば夫婦の信頼関係を壊す事になります。
だれかを傷つける事になります。
あなたの「ワガママ」がだれかの苦しみとなるのです。
これは、仏教的にはたいへんな「罪」となります。
「悪いカルマを積んでいる」という事ですね。
信用を失う。
実際「性欲」が元で失敗をする話って結構聞きますよね。
地位や名誉、財産がある人が、自分の性欲のままに行動してしまったが故に、その全てを失ってしまったという話はよく聞く所です。
仏教は「強制的に欲望を我慢しなさい」とは教えていません。
「幸せになる為の教え」として「邪淫するなかれ」と教えているのです。
「欲望を制御」する事も、たしかに苦しいです。
しかし「八正道」の中の「正見」や「正思惟」などの教えによって「欲についての考え方」を正しく学び、正しくコントロールしていく事で、少しずつ自然に「欲望との上手な付き合い方」をマスターしていけます。
これは強制ではなく「幸せに生きる為の訓練」です。
故に「八正道は連動」していて、全体であなたを幸せに導いていくのです。
本来の意味。
「邪淫するなかれ」という教えの、パーリー語(翻訳される前のお経の言葉)における、本来の意味は「もろもろの欲において、間違った行為はしない」だそうです。
本来は「五感(眼・耳・鼻・舌・身・意)における、欲望のすべてを制御しなさいよ」という教えのようです。
しかし、五感の全てを惑わせる欲望が「淫欲」なので、特に「邪淫するなかれ」という意訳になっているようなのです。
「性欲」って、恐ろしいですね(笑)
欲望によって我々は簡単に、怒りや悲しみ、不安や嫉妬、後悔、孤独などの渦に巻き込まれてしまいます。
地位や名誉や財産も、一瞬で失ってしまう事があります。
でもそこまで分かっていても……制御していく事って難しいですよね……。
でも、改めて言います。
おしゃかさまは我々に「欲望の全てを断ちなさい」とは強制していません。
この「邪淫をするなかれ」の教えのポイントは「その場の欲望に惑わされない」という事です。
その場の欲望に惑わされて軽率な行動をしない。
「あとから後悔するような行動をしない」という事です。
そう考えてみれば、とても「当たり前」な事ですよね。
まぁ、その「当たり前」が難しいんですけれども(笑)
おしゃかさまは、本当に穏やかに、幸せに生きていく為には、こうして生きた方がよいですよ、という方法を示して下さっているだけなのです。
一遍に全てを制御する事なんて誰にも出来ないですよね。
少しずつ……他の「八正道」の教えも参考にしながら……人生をよい方向に進めていくのが、この「八正道」の教えなのです。
まとめ
如何でしたでしょうか。
意図的に生きる「訓練」。
私たちの活動は「全自動」です。
私たちは、普段「反応」で生きているんです。
今回は、八正道の中の「正業」の教えを通じて、我々の根底にある欲求「殺し、盗み、邪淫」についての説明を見ていきました。
私たちは、ほおっておけば、このような欲求のままに「無意識に」生きてしまうようです……。
それって本当に怖いことですよね。
しかし、初めから完ぺきに生きる事なんて難しいです。
この八正道の教えを「修行」と捉えると苦しくなるか「自分には関係ない」と思ってしまいますが、これは自分が幸せに生きる為の「訓練である」と思って欲しいのです。
幸せな人生を送る為に「意図的に正しい行為をする訓練」をぜひ続けてみて下さい。
類は友を呼ぶ。
私たちは、無意識に「自分を守ろう」とします。
その結果「利己的」「自分本位」な言動を、ついつい「選びがち」になります。
恐ろしいのは、自分に対して許している行為は「他人に対して許している」行為でもあるということです。
「他者の命を軽んじる」人には「他者の命を軽んじる」人が集まってきます。
「盗んででも得をしよう」という人の周りには「盗んででも得をしよう」という人が集まってきます。
「自分本位な行為をする人」の周りには「自分本位な行為をする人」が集まってきます。
で、ここがポイントなのですが「自分がそう生きていると、周りの人の状態」に気づきません。
これでは幸せになりようがありませんね。
「意図的に正しい行為を選んで生きる」というのは最初は難しいかもしれません。
しかし、実践していけば、自分も、周りの環境も変わってきます。
幸せにあるために、ぜひこの「正業」の訓練を実践していって欲しいと思うのです……。
生きとし生けるものが幸せでありますように。
合掌 くてい 拝