ブレイクブログ「滅諦と道諦の補足話」(後編)
前編をまだお読みでない方は、こちらから先にお読み下さいね。
- 人生の苦しみについて、仏教はどう考えているのかを学びたい方。
- もう人生で(本気で)苦しみたくない!とおもっている方。
- 仏教について、これから学びたいと思っている方。
- 宗教・宗派の「〇〇だけが正しい」という話に疲れてしまった方。
ブッタのおしえ
上座仏教との出会い。
あるとき私は、上座仏教のお坊さんの本を買いました。
草薙龍瞬さんの「反応しない練習」という本です。
この本は、ロングセラーとなったようですね。
この本を読んだとき、はじめて「あぁ、上座仏教ってこんな事を教えているんだ……」と知りました。
ちょうどちまたでは、Googleや、Yahooといった名だたるグローバル企業が、社員の「ストレスマネジメント」として「マインドフルネス瞑想」を取り入れている事が話題となっていました。
「マインドフルネス瞑想」とは上座仏教に伝わっていた「ヴィッパサナー瞑想」から宗教色を取り除いた瞑想法である、といわれています。
わたしは面白くなって、さらに上座仏教のお坊さんである、アルボムッレ・スマナサーラ長老の「怒らないこと」のシリーズも読みだしました。
「怒り」というテーマだけでも、上座仏教ではこんなに詳しく説明ができるのだ、とビックリしました。
こちらも大ベストセラーです。
仏教の良質な本が広まってくれるのはとても嬉しい事です。
しかし私は同時に「もしかして自分は、おしゃかさまの教えについて何も知らないんじゃないのか?」と思うようになりました……。
それほどこれらの本は、面白くてインパクトがあったのです。
それからの私は、上座仏教の本をむさぼるように読んでいきました……。
信仰というテーマについて。
勉強していくと、そもそも上座仏教には「信仰」という概念がない事が分かってきました。
「信仰」は大乗仏教が人々を救済する為に選択していった方法で、上座仏教には存在しなかったのです。
つまり初期の仏教、おしゃかさまの時代の仏教には、信仰よりも重要視していたことがあった、という事なんです。
その事について説かれた教えがいくつかありますので、以前書いたブログの中から引用しますね。
おしゃかさまのお弟子さんの中にも、形而上学的な問題(いわゆる見えない世界について)知りたいと思った方はいたようです。
経典にはそうしたお弟子さんとの会話も残っています。
ある日、午後の瞑想を終えてから、マールンキャプッタはブッダの許へ行き、師に挨拶をして、その傍らに坐り尋ねた。
「師よ、私は瞑想中に、以下の疑問を抱きました。
(1)宇宙は永遠か、(2)否か、
(3) 宇宙は有限か、(4)無限か、
(5)魂と肉体は同一か、 (6)否か、
(7)ブッダは死後、存在するか、(8)否か、
(9)ブッダは死後、同時に存在もし、存在もしないか、
(10)それともブッダは死後、同時に存在もせず、存在しないこともしないか。
しかしブッダは、私の疑問に答えて下さらず、なおざりにされます。私は、師の態度が意に満ちませんし、よいとは思いません。
ブッダがこれらの問題を説明して下さるのなら、私は師の許で修行を続けます。説明していただけないのなら、私は別な師を求めて去ります。もし師が、宇宙は永遠である、とご存じなら、私にそう説明して下さい。もし師が、宇宙は永遠ではない、とご存じなら、そうおっしゃって下さい。
『ブッタが説いたこと』ワールポラ・ラーフラ著 岩波文庫 p49~p50
もし師が、宇宙は永遠なのかそうでないのかをご存じないのなら、〈私は知らない、
私にはわからない〉とはっきりとおっしゃって下さい」
こんなマールンキャプッタさんに対して、おしゃかさまは以下のようにご返答なさいます。
「マールンキャプッタよ、私は今までに「私の許で修行をしなさい。こうした問題
『ブッタが説いたこと』ワールポラ・ラーフラ著 岩波文庫 p50~p51
を説明してあげよう」と言ったことがあるか」
「師よ、ありません」
「ではマールンキャプッタよ、そなたは今までに「ブッダよ、私は師の許で修行を
します。師よ、こうした問題を説明して下さい」と言ったことがあるか」
「師よ、ありません」
「マールンキャプッタよ、今でも私は「私の許で修行をしなさい。こうした問題を
説明してあげよう」とは言わない。そなたも「ブッダよ、私は師の許で修行をします。
師よ、こうした問題を説明して下さい」と私には言っていない。だとすれば、誰が誰
を拒否するのか。
マールンキャプッタよ、もし誰かが「私は、ブッダがこうした問題を説明して下さ
らなければ、ブッダの許で修行しません」と言うならば、彼は問題を説明してもらえ
ずに死ぬことになるだろう」
そして、ここでブッタは、有名な「毒矢の譬え」をお話されました。
「マールンキャプッタよ、ここに毒矢に射られた一人の人がいるとしよう。そのとき、彼の友だちや親族が、急いで彼を医者の許に連れて行った。
ところが彼が 「私を射ったのは誰か? カーストは何で、何という名前で、どんな家系で、身長はどれくらいか? どんな弓と弦で射ったのか、矢羽根、矢尻はどんなものか? それがわからない間は、この矢を抜いてはならない」と言い張ったら、どうなるだろう。彼はその答えを得る前に死んでしまうだろう。
マールンキャプッタよ、それと同じく、もしある人が「私は、ブッダが宇宙は永遠
か否か、といった問題を説明して下さるまでは、ブッダの許で修行しません」と言っ
たら、彼は問題の解決を得る前に死ぬであろう」
そこでブッダはマールンキャプッタに、そうした問題は修行とは無関係であること
を説明した。
「宇宙が有限であるか無限であるかという問題にかかわらず、人生には病、老い、
死、悲しみ、愁い、痛み、失望といった苦しみがある。私が教えているのは、この生
におけるそうした苦しみの「消滅」である。
それゆえにマールンキャプッタよ、私が説明したことは説明されたこととして、説明しなかったことは説明されなかったこととして受け止めるがよい。マールンキャプッタよ、私は、宇宙が有限か無限か、といった問題は説明しなかっ
『ブッタが説いたこと』ワールポラ・ラーフラ著 岩波文庫 p51~p53
た。マールンキャプッタよ、私がなぜ説明しなかったのかというと、それは無益であ
り、修行に関わる本質的問題ではなく、人生における苦しみの消滅に繋がらないから
である。それゆえに私は説明しなかったのである
如何でしょうか。
おしゃかさまはこの中で「人生にとって優先すべき事は、形而上学的な問題について知る事ではく、生老病死の問題を解決することだ」といっているのです。
さらに別の時には、こんな話もされています。
「あるときブッダは、コーサンビ(アラハバッド近郊)のシンサパーの森に滞在していた。彼は、木の葉を数枚手に取り、弟子たちに尋ねた。
『ブッタが説いたこと』ワールポラ・ラーフラ著 岩波文庫 p48~p49
「弟子たちよ、どう思うか。私の手の中にある木の葉と、森の中にある木の葉と、どちらが多いか」
「師よ、師の手の中にある木の葉は実に少なく、シンサパーの森の中の方が、ずっ
と多くの木の葉があります」
「弟子たちよ、それと同じく、私が教えたのは、私が知っていることの、ほんの一部に過ぎず、説かなかったことの方がはるかに多い。 なぜ説かなかったかというと、それらはニルヴァーナに赴くのに役には立たないからである。それゆえに説かなかったのである」
ここでの話のポイントは、おしゃかさまは何も「神仏がいるかどうかや、信仰の話、不思議な話を否定している訳ではない」という所です。
おしゃかさまは「ニルヴァーナ(苦の滅尽、心のやすらぎの境地)に到る話以外は、人生にとってはあんまり意味が無いから(あえて)話さないんだよ」と言っているのですね……・
先の毒矢の喩えと一緒に考えると、「おしゃかさまが優先したこと、おしゃかさまの立場」がよくわかるのではないでしょうか……。
本当に優先すべきは……。
おしゃかさまは悟りの境地である「解脱」に到ったことで「人類史上、最も優れた人(ブッタ)」となりました。
おしゃかさまは最終的な解脱の境地に到る事で、森羅万象のあらゆる事を知る事ができたのですね。
そんなおしゃかさまが、森の中にある木の葉ほど大量にある教えの中で、もっとも優先すべき教えとして説いているのがこの「四聖諦」の教え(初期仏教の教えたち)なのです。
それは私たちの命があまりにも短いからです。
その短い命のなかで「人生の苦しみを克服すること以上に何か大事な事はありますか?」とおしゃかさまは我々に問うておられるのですね。
そしてその答えが「四聖諦」の教えなのです。
大乗仏教では、各宗派、どうしても教義の方が重要視されています。
しかしこうして上座仏教に残された伝統から読み解いていくと……四聖諦の教えと実践(ヴィッパサナー瞑想など)は、仏教徒ならもっと(どんな宗派の人でも)真剣に向き合ってもいい教えなのではないかな、と私は思うのです……。
まとめ
ぜひ四聖諦をじっくり学んでほしい。
四諦説は「この上ない完全な悟りを得たおしゃかさま」が、我々の苦しみを滅する為に説いて下さった「完成された」教えです。
おしゃかさまは「形而上学的な問題(目に見えない世界の話など)を知る事よりも、目の前にある自分の苦しみを解決する事の方が優先すべき問題じゃないですか?」と問うています。
その解決方法を教えているのが「四聖諦」なのです。
くわしく学ぶなら……。
四聖諦の話は、いろいろな人が本やブログに書かれていますが、私個人的には「上座仏教のお坊さん」の本を読まれる事をオススメします。
なぜなら上座仏教では、四聖諦の教えを「実際に実践してきたノウハウの蓄積」があるからです。
「完全なる苦しみの滅却」を求めるならば、ぜひ四聖諦の教えを、確かな本から学んでみてほしいのです。
みなさんに、さらなる心の平安が訪れますように。
生きとし生けるものが幸せでありますように。
合掌 くてい 拝
※「四諦説」をくわしく知る為のオススメの本
スマナサーラ長老の本は読みやすいですよ!
「日本人が知らないブッタの話」アルボムッレ・スマナサーラ著 学研
テラワーダ仏教「自ら確かめる」ブッタの教え アルボムッレ・スマナサーラ著 大法輪閣
この本も読みやすいです。
「エイトマインドフル・ステップス」 パンデ・H・グナラタナ著 出村佳子訳
すこし専門的。
さらに専門的。