死者の為にできること、自分の為にできること。中編(仏教以前⑪)3/5
今回は五回シリーズとなります。
まだ1/5をお読みでない方は、そちらから先にお読み下さいね。
- 死後の世界の事を知りたい。
- 亡くなった人に対して自分が何が出来るのかを知りたい。
- 仏教について、これから学びたいと思っている方。
- 宗教・宗派の「〇〇だけが正しい」という話に疲れてしまった方。
死者の為にできること。
今、最後に「周りの人に起こしてもらう」という話が出てきましたが、実際に生きている人は死者に対してどんな事ができるでしょうか。
指定する。
「餓鬼事経」というお経の中に、このような話があります。
おしゃかさまが生きておられた時代、マガタ国という所に、ビンビサーラという王様がいました。
ある日、ビンビサーラ王はおしゃかさまとお弟子様達に、お食事のお布施をされました。
昔から修行者に供養することには「多大な功徳がある」といわれているのです。
特におしゃかさまは悟りを開き「ブッタ」になられたような御方です。
お説教をすれば救われる人がたくさん生まれます。
そんな方にお食事の供養をする事は「おしゃかさまの寿命を伸ばす事に貢献している事」にもなりますから、間接的に「人助け」をしていることになりますよね。
だから功徳もとても大きいのです。
しかし、ビンビサーラ王は自分の為したお布施に満足し、夜眠りにつくと、なんと夢に恐ろしい餓鬼達があらわれ、一晩中、悪夢にうなされる事となったのでした。
おしゃかさまにお布施をすれば功徳が大きいはずですから、王様はこの事にびっくりしました。
そして次の日、おしゃかさまに朝一番に訪ねにいきました。
王「おしゃかさま、わたしは昨日、お布施をしたのに、なぜあのような餓鬼達の姿を観る事になったのでしょうか……」
するとブッタはこういったそうです。
あなたの先祖に、生前、悪行為を繰り返し、あまり徳を積まなかった人達がいます。
彼らは死後、餓鬼界に生まれたのです。
彼らは今回「王様が、おしゃかさまにお布施したとき、その功徳を自分達にも指定(廻向)してくれる」と思っていたのに、それが為されなかった為に、ショックで泣き叫んでいるのです。
王様は、そもそもそんな親族の事も知りませんでしたから、さらにビックリしました。
そしておしゃかさまに。改めてお布施をさせて頂く事の了解を受け、次の日もう一度布施行をし、その功徳を先祖に「指定」したそうです。
するとその事によって餓鬼達は餓鬼道を離れ、天界に生まれる事ができたんだとか。
どうも死者は「指定してあげないと」お供えしてくれたものや廻向してくれた功徳を「受け取る事ができない」ようなのです。
どうやら「廻向」には「指定する」といった意味もあるようなのです。
ただお供えしているだけではダメなのですね。
よき波動を送る。
死者の為に、お経やマントラを唱えることはよいことだとは思いますが、大切な事は「心を込めること」ではないでしょうか。
私は以前のブログで「形より心が大切」というお話をさせていただきました。
上座仏教のお坊さんとして有名なスマナサーラさんもその著書の中で
「自分自身が精神的に徳を積んで清らかな波動をつくって、その波動の影響を他の生命に与えてあげる」という本当の供養のシステムは一切を知りつくしたブッタにしか教えられないことなのです。
「死後はどうなるの?」アルボムッレ・スマナサーラ p129 角川文庫
と、おっしゃっています。
例えれば「うちのお父さんはケチな人だったな……」と思えば、遺族であるあなたがこの世で代わりに「施しの行」をさせて頂くのです。
施しの行といっても難しい事ではありません。
慈善団体に寄付をするとか、ボランティア活動に参加してみるとか。その結果、あなた自身が「あぁ、参加できて良かったな」と思えたり、または周りの人から喜ばれたり……と、そういうった「喜びのエネルギー」ができるとするじゃないですか。
そしたらそのエネルギーを「うちのお父さんに指定します」といって、あなたがお父さんにおくればいいんです。
そこにお坊さんは必要ありません。
「うちのお母さんは、いつも働き過ぎていて、安らぐ事がなかったな……」と思えば、あなたが代わりに温泉にいったり、散歩にいったりすればいいんです。
そしてその安らいだ波動を「お母さんに指定します」といって廻向すればよいのです。
これは、あなたができる事です。あなたが出来る供養になります。
2/5と、3/5のまとめ。
如何でしたでしょうか。
今回は「死者に対して出来る事」というテーマでお話をさせて頂きました。
あなたが幸せになる。よき人となる。
あなたが亡くなった大切な人の為に何かをしたいとします。
そんな時、あなたができる事があるのです。
それは、まずあなたが幸せになることです。あなたが「良き人」になる事です。
そして、あなたが受けた幸せや、喜びの波動を、亡くなった方に「指定して」分けてあげる事なのです。
「この喜びを〇〇さんに指定します。」
そうやって、あなたが為した功徳を、亡くなった人に送ってあげる事です。
あなた自身が光を(良きこと、楽しい事、喜び、良き思い、親切心)を体験し、送りたい人にそのエネルギーを「指定して」送ってあげる事です。
これなら自分でも出来ますよね。
この方法で亡き人も、そのエネルギーを受け取る事ができます。
あなた自身が幸せに、そして良い人となって、その光を亡くなった大切な人に送ってあげるって……すばらしい事だと思いませんか?
大切な人が亡くなる事はかなしい事だけれど、その事によって倍々的にこの世界に「良き人」「幸せな人」が増える……。これはすばらしい考え方だと思うのです……。
向こうの世界で起こること。
寝ている人にライトの光を当てたら、まぶしくて起きてしまうように、もし悪趣に生まれてしまっていたご先祖様でも、あなたが光の良きエネルギーを送ってあげる事で、悪夢から目覚める事ができるかもしれません。
例えば、餓鬼道に墜ちてしまったケチなお父さんになら、あなたが指定して送った「施しをする喜びのエネルギー」を受け取って「あぁ、人の為に動くことにも、こんなに喜びがあるんだな」と暖かい気持ちになり、餓鬼界の苦しみから天界に生まれ変わる事もあるかもしれないのです。
例えれば、悪趣に墜ちて自分の体験している世界に没頭している死者にとっては、観ていた番組がいきなり切り替わってしまうような……ホラーだと思っていた物語が突然喜劇に変わってしまうような……そんな現象が起こるようです。
または そのようにして 元々光に溢れた人も、さらに光を強化できるのです。
良きこととは、簡単な事でよい。
何度もいいますが、良きことって、難しい事や特別な事を考えないで下さいね。
空き缶が落ちていれば「誰かが転んだら大変だな」とゴミ箱に捨てたり、落ち込んでいる人が廻りにいたら「どうしたの?」と声をかけてあげたり……そんな、ちょっとした事でいいんです。
大事なことは最後に「指定すること」です。
あらゆる命の幸せも願う。
もし送りたい対象を特定しないなら「生きとし生けるものが幸せでありますように。」とお祈りして、あらゆる命に「指定」したら良いと思うのです。
その事によって、功徳を必要としている魂すべてが「受け取る」事ができます。
ちなみに日本の仏教の各宗派では法事の最後に「願似此功徳~(このあとは宗派によって文言が違う)」という偈文を唱え「今、法要で生まれた功徳をが、生きている人も亡くなっている人も、縁がある人も無い人も受け取れますように」とお祈りしているんですよ。
これを観て下さっているあなたが仏教徒なら、知らないうちに、あらゆる命に功徳を振りまいていたことがあるかもしれない……という事です。
功徳は減らない。
いくら大切な先祖様にでも「自分の功徳を分けてしまったら、自分の分の功徳が無くなってしまうんじゃないの?」と心配になるのではないでしょうか……。
大丈夫です。功徳は減りません。
それどころか人に分けることでどんどん増えていきます。
例えば、あなたが空き缶を拾って他者に喜ばれたとします。
その「喜びのエネルギー」をケチだったお父さんに「指定」しておくります。
するとお父さんがその功徳によって天界に生まれた、救われた。とします。
するとあなたは「お父さんを救った」事になるのです。
それって「功徳を積んだ事」になりますよね。
さらにあなたがその功徳によって幸せになったとします。
すると今度はお父さんが「自分の息子を幸せにした」のだから、また徳積みをした事になるのです。
凄いことだと思いませんか?
なぜ「廻向」というのでしょうか。
そうやって功徳は「ぐるぐると廻り向かっている」からですね。
どうか減ると思ってケチらず(笑)あなたが幸せになって、あなたが良き人となって、世界に功徳を廻し向けていって下さい。
それがまた、あなたの功徳となり、死後のあなたを救う事にもなるのですから。
生きとし生けるものが幸せでありますように。
くてい拝
4/5に続く……。