死者の為にできること、自分の為にできること。/後編(仏教以前⑪)5/5
今回は五回シリーズとなります。
まだ1/5をお読みでない方は、そちらから先にお読み下さいね。
- 死後の世界を知りたい。
- 死に対して、生きている内に自分が出来る事を知りたい。
- この世を安心していきたい。
- 仏教について、これから学びたいと思っている方。
- 宗教・宗派の「〇〇だけが正しい」という話に疲れてしまった方。
この問題を解決していく方法。
ドミノの解決策。
先に私達の心の反応はドミ倒しのように続いていく、という話をしました。
つまり、始めにネガテイブな反応をしてしまうと、次から次へとその反応が続いていく、という話でしたね。
しかし「反応はドミノ倒し」というのなら、一つ、解決策が見えてきます。
それは最初の反応を「良いものにしていく」という事です。
ただし、次の反応がネガティブなものであれば、ドミノ倒しは続きません。一個目で終了になります。
ですからドミノ倒しが続くように……はじめは「わざとでも」良いこと、良いこと、を続けていくしかありません……。
人生はカードゲーム
ここで私がこの話の全体を分かりやすくお伝えしたいと思い、喩え話をつくってみました。
私は人生って、カードゲームのようなものだと思うのです。
例えば、このカーゲームでは、自分の持ち札と、カードの山があります。
ゲームをする人は自分の持ち札からカードを出します。
「人生は反応」ですから、出来事に対して「瞬間的に」カードを選びます。
いや「選ぶ」というより自分の内側が反応して「選んでしまう」のですね。
そして足りなくなった分をカードの山の一番上から補充します。
さらに、このカードゲーム最大のポイントは「出したカードが山の下に戻されていく」事なのです……。
これがどういう事か、おわかりになられるでしょうか?
自分が「怒り」とか「怨み」とか「悲しみ」のカードを使うと、そのカードが又、山のカードの下に補充され、またいつか「引かなければいけない」事になるのです。
これぞまさしく「因果応報」……。
自分が捲いた種は、いつか自分で摘み取らねばならない、という事なのです……。
このゲームをハッピーに攻略する方法。
このカードゲームをハッピーにクリアする方法があります。
それは最初はわざとでもいいから「良いことをやり続ける」という事です。
常に一端立ち止まって……「今の判断で一番良い対応は何か?」と模索し、そのカードを出していく事です。
最初は「偽善」とよばれる事でもかまいません。
なぜ「偽善」でもよいのか……そこはまた、くわしい話が必要なのですが……。
それはまた次回以降……。
とにかく「わざと」でもかまいません。
わざとでかまいませんから、最初は訓練と思って「善行」を行っていくのです。
すると山の中のカードもポジティブなものに変わっていきます……。
その結果、おのずと「反応」で出すカードがどんどん(意図ぜずとも)変わっていきます。
私はこれが「徳積み」の本質なのではないか、とさえ思っているくらいなのです。
日々「良きこと」「徳積み」をやって行くことは、結局、生きている間の自分と、死後の自分をも救う事になるのです。
まとめ
徳積みが自分を救う。
私は若い頃、仏教の勉強をしていた時「仏教では『良いことをしなさい』とおしゃかさまが教えているんだよ。」と、お坊さん道場の先生から聞きました。
それはある意味で「当たり前」で、それはある意味「きれい事」にしか聞こえませんでした。
私の心を打つことも、行動を変えたいと思うこともありませんでした。
「そう言っている先生も、望んでそうやっているようには見えないけどな……」というくらいの気持ち、いや「やっていないだろー」くらいの気持ちでした(笑)
でも今なら、とっても、とってもよくわかります。
この話のポイントは「私達は『反応』で生きている」って所なんです。
私たちは日々、無意識に「反応」で生きているから、ただただドミノ倒しのように、感情に流されて生きているだけなんです……。
おしゃかさまも「そのように反応しているだけの人生は、生きているとはいえない」といっているそうなのですよ。
ネガテイブな反応はだれでもしてしまいますが、その結果、そのネガテイブがネガテイブを呼び……流されるように生きているだけのようです。
私は「なぜ、人生は、こんなに苦しい事の連続なのか」と思っていましたから……この事を知った時「自分を救いたければ、もっと自覚的に良い事をして、自分の無意識の『反応』を変えていく(クリーニングしていく)しかないのだな……」、と学ばせて頂きました。
徳がある人。
世間には「徳がある」と言われる人がいます。
そのような人って、ちょっとした言動が美しいですよね。
今回の喩えで言えば、人は「反応」で生きていますから、そんな人は「持ち札」と「山の中」のカードが美しい、という事になります。
最初はしんどいかもわかりませんが、私達も行いを清めて、だんだんと手持ちのカードが良いものになっていけば、自然とそのような人になっていけるのだと思います。
カードの山とは「自分のカルマ(業)の事」
生きている内に、最初はわざとでも良いから「徳積み」をしていってください、とお話させて頂きました。
すると手持ちのカードも、山の中のカードも、良いものに変わっていって「死ぬ瞬間」の反応もポジテイブなものになります。
ましてや「カードの山」とは自分の心の事です。自分の「業(カルマ)」の事でもあるのです。
自身が清らかであれば、自ずと現世も来世も、清らかになっていく事でしょう。
自分を救うのは自分。
そして、これらはずべて「自分でできる事」なのです。
宗教者があなたを救ってくれるのではありません。
自分で自分を救って(清めて)いくのです。
私達はすべからく、いつか死を迎えます。
自分の為にも、日々、できる事で構わないので、徳積み、良きこと、喜び、あかるさ……そんな選択をなさっていって下さい。
あなたがしあわせであることを祈りさせて頂きます。
生きとし生けるものが幸せでありますように。
くてい 拝。