人生に悩んで、お坊さんになって……。
みなさん、こんにちわ。
このブログを運営しています、くていと申します。
まやば くていと申します。
仏教のお坊さんになります。
どうぞよろしくお願い致します。
このブログでは、私が人生に悩んだ末にお坊さんになった理由と、お坊さん世界に入ってからの悩みについて書きました。
こんな私だからこそ、この『これから始める佛教』ブログに込める特別な思いがある事を知って頂きたくて書きました。
まずはこのブログで、私の事を知っていただけたら嬉しいです。
- 仏教について、これから学びたいと思っている方。
- 宗教・宗派の「〇〇だけが正しい」という話に疲れてしまった方。
悩んだからこそ……。
悩みが解決されなかった頃……。
私は中学生の頃、いろいろな事にとても悩んでいました。
それはどんな悩みだったかというと「欲しい物が手に入らない」という悩みだったり、世間に溢れる、いじめなどの暴力、人間関係だったり…。
当時の私は「なぜいろんなことが上手くいかないんだろう」と、常にもどかしさを感じていました。
そんな時、曹洞宗大本山永平寺の、修行風景を追った番組を観たんです。
冬の寒い中、修行僧さん(雲水さん)達が素足で托鉢をされていたり、みんなで大きな樽にお漬物を漬けている姿を観て「美しいな~」「こうやって静かに生きて生けたら幸せだろうな~。」と思いました。
そして、こんな事を思ったのでした。
「幸せになりたくて、僕はいろいろな事を願う。もちろん願いは叶って欲しい…。でも、もし自分に必要の無い願いならば、自然に忘れていけることも救いなのかもしれないな…。」
「僕は、これから人生について、いろいろな事を勉強していこう。自分の精神性が向上すれば欲しい物が変わっていく。喩えれば、小さい頃に欲しかったおもちゃを、今はもう求めないように。自分が成長すれば、欲しい物も変わっていく……。それが自分を救う事なのかもしれないな…。」と……。
今、あえて、言葉にすれば……であって、こんな小難しい言葉では当時、考えてはいませんでしたが(笑)
およそ、こんな事を閃いたのでした。
悩みが多くて、いつも悩みを解決する事しか考えていなかった中学生は、このちょっとした気づきの体験からすごく楽になれました……。
そして、お坊さんをしていた叔父さんの元を訪ねて、自らもお坊さんになる道を選んだのでした。
新しい悩み……。
日本のお寺は基本、どこかの宗派に所属しています。
宗派ではそれぞれに僧侶を養成する道場や学校を持っていて、多くの場合はそのどれかに所属して「僧侶資格取得」を目指します。
私は、師匠のお寺が何宗かも分からず、宗派の違いなんて重要視せずに養成道場に入りました。
しかしここで、私に、思いもかけなかった、新しい悩みが生まれたのです。
それは「宗派に所属する限り、宗派の教えが一番」という、当然の事でした。
ドコモに所属すればドコモの商品を勧めますし、auならauの、ソフトバンクならソフトバンクの製品を勧めますし、売りますよね……。当然の事です。
その宗派のお坊さんになる以上、その宗派の特定の教え(座禅とか念仏とか題目とか密教とか)を中心に、仏教を説かなくてはいけなくなります。
まぁ、仏教って、本来そんなもんじゃないとは思っていますが、現在はそうやって住み分けされていますから……当然の事です。
もし私の家がお寺で、跡を継がなくてはいけなくて「住職になる資格が欲しかった」というだけならそんなに悩まなかったとは思うのです。
しかし私は「いじめや争いのなくならない人間関係をどうにかしたい」と思って仏教を勉強しにきていたので「自分たちの宗派の実践と教義が、一番優れている」とばかり教える、宗派仏教の教育に正直、混乱してしまいました。
なぜなら、宗派の教えは間違いなくすばらしいとは思うのですが「うちの宗派が一番」といったような教育では「いじめや争いは根本的には無くならない」と感じたからです。
むしろそのような考え方が、いじめや争いを助長しているのではないか、とさえ考えてしまいます。
なぜなら、そこには既に、対立が存在していますからね……。
私が求めていた「根本的なやすらぎ」が、そのような在り方の延長にあるとは思えませんでした……。
師(目上の人)の言う事は絶対……。
しかし、お寺の世界って「師(目上の方)の言う事は絶対」です。
「本当に、この先に真実があるのかな…」と思いながらも「分からないのは、オマエの実践が足りないからだ。」と言われれば「そうなのかもしれないな……」と思うしかありませんでした。
特に私は「先生(目上の方)の言う事はちゃんと聞く。」という師弟関係の世界に美意識さえ感じていたくらいですから、高卒でまだまだ何も分からない私には「自分を責めて終わる」という選択肢しかなく、答えの出ない日々を鬱々と過ごすしかなかったのでした……。
私は(もちろん、宗派を開いたお祖師様達は素晴らしい存在ですから)宗派を肯定したい気持ちと、他宗の中にも真実を感じるからこそ肯定したい気持ち。その両方を持っていました。
だからこそ悩み続けた日々でした……。
おしゃかさまは「どれだけりっぱな先生が言った事でも鵜呑みにせず、自ら確かめなさい。自分で確かめて『これは真実だ』と自分で確信した事だけ信じなさい」とおっしゃっているのですが、この当時の私はそんな言葉は知りませんでしたからね。
結局、それから三十年近く、組織に所属する責任もありますから、それなりに周囲に合わせながら……そのすべてが両立される道をこっそりと探究し続けるしかありませんでした。
このブログでやりたいこと
私は個人的に、全ての仏教宗派が、真理を悟ったおしゃかさまから始まっている、というのなら「共通する真実や、相反する概念を総括できる上位概念を探っていく事が、全てに行き着く真理を発見する事になるのではないか?」と考えてきました。
私はこのブログを通じて、いろいろな「宗教的閉塞感」を感じている人に「こんな考え方もあるみたいですよ~」「あんな考え方もあるんですよ~」とお伝えしたのです。
そうして、このブログを通じて「全包括的な真理について」共に考えていく事が出来たら、と思っているのです。
仏教って、本来「心の自由」を得る為の教えですから「こうあるべき」「こうしなければならない」なんて考え方は越えられる筈ですし、と同時に「こうあるべき」「こうしなければいけない」と言われてきたことにもそれぞれ理由があって、その理由を知った上で有効なものがあるなら、選んだら良いだけだと私は思っているのです。
これから『これからはじめる佛教(略して『これ佛』)』で紡いでいく内容が、対立や葛藤を少しでも減らして「誰かのお役に立てれば」こんなに嬉しい事はありません。
生きとし生けるものが幸せでありますように。
合掌くてい 拝