科学と宗教の始まり。(仏教以前②)
くていさん。
宗教のはじまりについて教えて下さい。
了解しました。
では、悟った聖者さま達のお話や、学者さん達の意見も参考にしながら、宗教が生まれた経緯についてお話していきましょう。
- なぜ宗教がこの世に存在しているのか知りたい(あくまで一説ですが……。)
- 宗教・宗派の「〇〇だけが正しい」という話に疲れてしまった方。
- 仏教に関心を持ち始めた人に、宗教の始まりにも目を向けてみて欲しい。
「大いなる何か」の探究。
死後の世界の想定。
昔の人達も、今の私達と同様「死んだ後、自分達はどうなってしまうのだろう」と考えていました。
「私や、私の大切な家族達は、亡くなったらどこにいってしまうのだろう……。」
こうして「死後、私達は存在するのか?」という疑問が人々の中に生まれました。
「死後、私達の存在は全て消えて無くなってしまうのだよ。」
と考える人や、
「いや、死後には、死者達の世界が存在する筈だ。」
と考える人たちが生まれていった訳です。
大自然の驚異。
又、嵐や雷、大雨など、自分達がコントロールできない自然の驚異に、人びとは常に畏れ(おそれ)を感じていた事でしょう。
今でこそ私達の生活はかなり文明に守られていますが、昔の生活は今よりもっと、その時々の「自然の状態」に左右されていましたからね……。
「この自然と共存する為にはどうしたら良いだろう……」
と、深刻に考えた事でしょう……。
そこで昔の人たちは、
「なんとかこの自然の災難から自分達を守る事はできないのか。」
「自然を味方につける事はできないのか?」
と考え始めました。
この思考のはじまりは、宗教の始まりでもありますが、科学の始まりでもあります。
「自然とうまく共存したい。」
「自然をなんとかコントロールできないだろうか。」
こうした悩みがあったからこそ、人間世界は大きく進化していったのですね。
自然の中に、神を見いだす。
こうして人類の一部は、自然の中のさまざまな要素を「神として拝む事」を始めました。
神として祈る事によって「自然による災害から自分達を守ろう」とした訳ですね。
自然のあらゆる要素の中に、神や精霊の存在を見いだすことをアニミズムといいます。
こうして作られていった祈りには「共存したり、お許しを頂く為の儀式」や「自然を思い通りに動かすための儀式、呪術」などが、ありました。
「自然は敬うもの」という考え方や「自然は使役(利用)するもの」という考え方など、ここでもいろいろな考え方が生まれていたのですね。
これもまた、宗教にたくさんの種類がある理由の一つとなります。
真理の発見へ。
さらに当時の人たちは、こうした嵐や雷、大雨などの大自然の働きが「もっと大きな秩序によって統制されているのではないか?」と考え始めました。
例えば日本には、春、夏、秋、冬、と季節が(多少の変動はあっても)秩序正しく巡ってきますよね。
こうした「秩序」を感じるにつけ、昔の人びとは、「宇宙には、宇宙を創造している設計図があるのではないか?」
「宇宙には、宇宙を創造している、法則なるものが働いているのでは無いか?」と考え出していった訳です。
それが「宇宙の法則」または「真理」などと呼ばれるものの想定になっていった訳ですね。
そしてこの真理は「法則」ですから形の想定がありません。
さらには「すべての法則の上位概念」にあたりますからおのずと
「無限(むげん)」という発想も生まれます……。
さらに「この無限、法則には、知性があるのではないか?」という考えから、「全知全能の神」という概念が生み出されます。
この三つは同一、と観られたり、別々、と観られたり、宗教。宗派によって、あるものは認めるけれど、あるものは認めない、とかがあります。
こうして解釈の違いから、いろいろな宗教・宗派が生まれてきたのですね。
まとめ
如何でしたでしょうか。
こうして「大いなる何か」の存在を感知した人びとの科学的、宗教的な探究が始まりました。
そして「簡単には答えがでない程の大きなテーマ」であるが故に、いくつもの宗教、宗派、学派が生まれていったのですね。
なるほど。
自然への驚異が科学的な探究と宗教的な探究を生んだのですね。
この二つの根っこが同じ、という話がなかなか興味深かったです。
そうなんです。
他の説もあるかもしれませんが、この考え方はなかなかしっくりきます。
そして今までもあった事ではありますが、これからの時代、さらに科学的探究と宗教的探究が協力して、今まで分からなかった「この世界の真理」が、さらに明らかになっていく事になるのではないでしょうか。
なぜなら科学と宗教は、同じこの世界の真理を「別の角度」から探求していった双子の兄弟のようなものだからです。
これからの時代がますます楽しみですね……。
生きとし生けるものが幸せでありますように。
合掌 くてい 拝