仏事相談を受ける事があります……の話。(仏教以前⑨前編)
私は普段、仏事について、いろいろな相談を受ける事があります。
葬儀や法事のこと、お墓の事、先祖供養の事など……。
今日はそんなとき、私がどのように対応をしているのかをお話しさせて頂きたいと思います。
- 仏事について悩んでいる方。
- 仏教について、これから学びたいと思っている方。
- 宗教・宗派の「〇〇だけが正しい」という話に疲れてしまった方。
質問をうける。
デリケートな対応……。
仏事相談を受ける時、わたしはまずはその人がどんな立場の人かを確認します。
私直属になる信者さんなのか、他のお寺、宗派の檀家さんなのか、どこにも所属していない人なのか等々……。
そして私の信者さんでない方ならば先に「宗派やお寺、地域によっても考え方が違うので、菩提寺さんに聞いて下さった方が確実ですよ」とお話する事になります。
しかしそれでも「その菩提寺の住職さんがちょっと……」とか「住職さんに相談する前に……」とか言ってくる方もいるんです。
例えば「私は亡くなったダンナと同じ墓に入りたくないんですけれど、菩提寺の住職さんに相談したら『そんなワガママいっちゃいけない』って言われたんです……。仏教ってそういう教えなんでしょうか?」とか言われたら……私も「お坊さんとして、カウンセラーとしても……」放ってはおけなくなります(笑)
そんな時はもう一度「宗派やお寺、地域によっても考え方が違うので、菩提寺さんのやり方に合わせられるのが本来は一番なのですが……それならば参考までに……」と前置きしてから、これからお話しするような話をする事になるのです……。
いろいろな事が混ざっている。
仏事への質問って、宗派によって、地域によって、お寺によって、お坊さんによって、さらには、霊能者さんや、スピリチュアルな活動をされている方も答えてくれますが、答える人によって、随分と答えが違ってきたりします。
一口に仏事の話、といっても、そこにはいろいろな側面が混ざっているのです。
- 宗教的側面
- 仏教的側面
- 宗派的側面
- 文化的、地域的側面
- スピリチュアル的な側面
などなど……。
例えば「四十九日の間、仏壇は開いておくべきか?閉じておくべきか?」というテーマに関して、それぞれの側面から考えてみましょう。
①宗教的側面としては、神道には「ハレとケガレ」の思想というのがあります。
ハレとは清浄なエネルギー、ケガレとは不浄なエネルギーと考えてくれたら良いと思います。
神道では死は「ケガレ」と考えられています。決して死が「汚れている」という訳ではなく、人々の悲しみのエネルギーにより「気というエネルギーが枯れ(気枯れ)」てしまうのですね。
故にケガレのエネルギーで「神棚を汚さない」為にも、家の中に死者が出ると「神棚を閉める」という事を行っているのだそうです。
半紙を貼って「神棚封じ」というのをやったりします。
そんな事がありますから、よく似ている仏壇でも「え……こっちは開けておいて大丈夫なの?」という気持ちになっていったのではないでしょうか……。
②仏教的側面としては、仏教には本来「ケガレ」の思想はないので「仏壇は開けておいても大丈夫」といえます。
閉めたかったら閉めてもかまいません。
仏教には状況に合わせられる柔軟さがありますから「閉めていいですよ」「開けてもいいんですよ」と世間のニーズに合わせてきた部分もあるようです。
ちなみに絵にあるように「開けておかないとたたられる」なんて見解は、本来のブッタの教えにはありません(笑)!
③宗派的側面としては、例えばご祈祷をするような宗派だったら、お祀りしている本尊様によって「死はケガレだから近づけない」という考え方を取り入れている事もありますから、その延長で家の仏壇も閉めるように指導する事もあるでしょうし、浄土系ならば「お迎えにきてもらわなければならないのだから」と仏壇をオープンにするかもしれません。
ただしこれも宗派やお坊さんによって一様ではありません。
④文化的、地域的側面としては、昔は各家で葬式をする事もありました。
そうなると、家の中にたくさんの人が出入りするので時には「仏壇にお尻を向ける」事になります。
そうした事を防ぐために「仏壇を閉めていた」という事もあるかもしれませんね。
しかしそもそも「仏壇を開くか、開かないか」という問題自体がお経に書いてあるような話ではなく「民俗・文化の話」であるといえます。
少なくともわたしはこうした事をお坊さんとして専門的に学んだ事はないです。
よほど地元の人達の方が詳しかったり……というか「こだわりが強かったり」しますし、地域によっても特色があります。
⑤スピリチュアルな側面としては(いろいろ切り口はあるでしょうけれど)もしお仏壇を「清らななお祈りの場所」として使っているのなら、清らかな波動を保つためにネガティブな波動はシャットアウトする(閉じる)、という考え方を持つ人もいるのではないでしょうか。他にもいろいろなスピリチュアルな切り口はあると思います。
このように「四十九日の間、仏壇は開いておくべきか?閉じておくべきか?」というテーマだけでも、人や立場によって、答えがずいぶん変わってきます。
でも裏を返せば……「そんなものだ」という事でもあります……。
法事の準備を家族でやって、やっと完成したと思っていたら、後から来た親戚のおじさんがことごとくひっくり返していく……なんて話もよく聞きます。
そしてそのおじさんに「なんでそのようにしようと思うのですか?」と聞くと「昔からそうだったから」とか「そうやって自分は習ってきたから」と言ったりします……。
まぁ、そんなもの、そんなものなんですよ……(笑)
形より心が大事
私は以前、あるとっても有名な霊能者の先生から、こんな話を聞きました。
くていさん。
言葉には、言霊(ことだま)と音霊(おとだま)ってあるの。
言葉にも力があるけれど、音にも力があるんだよ。
音霊って、お経の声とかの事で、音霊って船でね、その音霊に言霊の「心」を乗せて相手に届けるんだよ。
でも、心がこもってなかったら、乗り物だけが相手に届くの。
いくら良い声でお経を唱えても、楽器の演奏だけが上手でも相手の心に響かないでしょう?
くていさん。形より、心が大切なんですよ。
ある霊能者さんのお言葉。
この話、とっても大切な事を言っていると思うんです。
世間の人は「ああしなきゃいけない」「こうしなきゃいけない」って、すぐに形ばかりを求めてしまいますが、それよりも大事なのは「心」なのではないでしょうか。
私はこんな質問をうけたとき、上記のような霊能者さんのお話と、以前お話した「易占霊界」のお話をさせて頂いて……。
「形なんて地域によっても人によっても変わってくるんで、これっていう正解はないんですよ。それよりも大事なのは心だと思うんですよね」という話をまずはさせて頂くんです。
後編に続く……。