神々のはなし。(仏教以前⑤)
- なぜ、たくさんの神さまがいるのか知りたい方。
- 無限の神と八百万の神さまとの関係性を知りたい方。
- 仏教について、これから学びたいと思っている方。
- 宗教・宗派の「〇〇だけが正しい」という話に疲れてしまった方。
無限の神と有限の神々。
ピラミット構造の喩え。
以前、昔の人びとが自然のあらゆる要素の中に神を見出し、そして最終的にはその神々を統べる、全知全能の神さまの存在を見い出すに到った、というお話をさせて頂きました。
無限なる神、又は全能の神は、無限なる存在ですから、具体的に我々に関与してくださるのは有限なる神々、となるそうです。
有限なる神々には、それぞれに得意分野があるのだとか……。
神社にいっても、ここは「導きの神さま」とか「金運の神さま」とか言いますよね。
それぞれの神さまが、無限なる神の全能性の一部を頂いている、という所でしょうか……。
ちなみに、このピラミットを上から見ると、日本密教で大切にされる「胎蔵界曼荼羅(たいぞうかいまんだら)」のかたちになります。
胎蔵界曼荼羅では、一番中央の真ん中にいる大日如来は「真理そのもの」を顕した存在なのですが、この大日如来が曼荼羅の中のあらゆる神仏に変化していくのです。
曼荼羅にも、さまざまな個性をもった神仏が配置されています。
しかも外周部分になると、鬼のような存在もいるのですが、そのすべてが「大日如来の顕れである」というのです。
そのそれぞれが大日如来の特性の一端を頂いている、という事ですね。
さきほどの神のピラミット構造も含め、限定された神々も、人間も、他の生物も、無限なる神や大日如来といわれる存在の個性の一端を頂いている、と言えるのかもしれません……。
それぞれが無限なる存在の一端を頂いた存在で「個性的」である、という事ですね。
私たちはつい「完璧」を求めてしまいますが、完璧って「無限なる神」しかいない、って風にも考えられます……。
ちなみに、無限なる神、と言おうと、全能の神といおうと、大日如来と言おうと、それらはすべて同じ存在を顕す言葉と考えられます。
水の事をウオーターと言ったり、アクアといったりするようなものですね。
さらに、無限なる神と有限なる神の関係を、違う喩えで説明してみましょう。
電化製品の喩え。
無限なる神と有限なる神の存在は、発電所と電化製品の関係で喩える事ができます。
無限なる神は、無限に近く電気を生み続ける、発電所のようなものです。
発電所で出来た電気が私達の家にも届き、コンセントを通じて電化製品に供給されます。
電化製品は各々の個性を生かして私たちを助けてくれます。
クーラーにはクーラーの個性が。
テレビにはテレビの個性が。
そうじ機にはそうじ機の個性がありますよね。
「無限なる神、全能の神」と「限定された神々」の関係も、これによく似た関係になります。
背後にある無限も共に祈る。
ヒンドゥー教の聖者さまであるヴィヴェーカナンダさまは、その著書の中で、限定された神々(デーヴァ)を祈るときは、その背後にある無限の神も同時に祈りなさい、と言っています。
例えば御利益のある神さまだけを祈る事は、その御利益を頂く事にはなるのだけれど、同時にカルマも生む事になる、というです。
しかし、同時に背後にある無限なる神、全能の神を同時に祈るなら、御利益と共に悟りを得る事ができる、というのです。
参考 『バクティ・ヨーガ』第3版 スワミ・ヴィヴェーカナンダ著 p80~p85
仏教の密教作法に於いても、特定の神仏に対してお祈りをする時、その神仏の真言だけではなくて大日如来のご真言も共にお唱えしていますが、そこには同じような意味があるのかもしれません……。
輪廻の輪の中の神々。
おしゃかさまは「無限なる神」といった概念について質問されても「答えない」という態度を貫いていらっしゃったそうです。
こうした対応を「無記」と言います。
おしゃかさまは「無限なる神という存在がいるかどうか」という議論は「解脱には直接必要の無い知識である」と考えていたようなのですね。
ですから、同じ仏教でも、スリランカなどに伝わった仏教の原始経典には「無限なる神や仏」といった存在は出てきません。
しかし、六道の中で天界に住む神々の存在は、原始経典にも出てきます。
経典の中では「デーヴァ」と呼ばれていたりします。
おしゃかさまの説法を「天の神々も聞きに来ている」といった描写もあるくらいなんですよ。
ですから、正確には上座仏教の世界観を正確には表していないかもしれませんが、先のピラミットの図と比べるために分かりやすい図にあえてしてみると、こうなります。
真理を神と観るか、法則と観るかの違いはありますが、こう考えると、両方の世界観を否定する事なく融合する事ができるのではないでしょうか……。
まとめ
ちなみに、テレビの心霊特集なんかでよく取り上げられるオーブはこうした「自然霊」だといわれています。
彼らはバイブレーションが細かい為、普段の私達の目に映ることはないのですが、例えば人間界に降りてこようとするなどの何らかの理由からバイブレーションを落とすと、映像に映っちゃったりする事があるそうです。
どうもこの世界には「神々」と呼ばれる存在は本当にいらっしゃるようです。
先ほども言いましたが、神々にも高次元な存在と低次元な存在がいるらしく、次元が低い程、人間に近く物質的なものを好むそうです。
そして神々はしょっちゅう我々人間のために働いてくれているそうです。
天界の神々にはまだ「感情」があるので私たちが「神さまのお陰だ」と喜べば「よし、また力を貸してあげる」と喜ぶそうですし「いや、これは自分の実力だ」と感謝をしないでいると「もう助けてあげない」と離れていくそうですよ(笑)
神々も含め、生きとし生けるものが幸せでありますように。
くてい 拝