お悩み相談ブログ「いい距離間」の話。(後編)
前編をまだお読みでない方は、こちらから先にお読み下さいね。
- 今、人間関係に悩んでおられる方。
- ~べき、という人間関係に苦しんでおられる方。
人間関係の収まり処
縁はあるけれど……
私は、自分に縁がある人って、世間に結構たくさんいるんじゃないかな~と、感じています。
恋愛関係の例えで話してみます。
出会ってピピッとくる人って結構いますよね。
でもポイントは「自分との適切な関係がどのようなものなのか」までは分からない……。
だからお付き合いをしてみます。
そして、ヤマアラシのカップルの話ではないですが、お付き合いした当初は近づきたいじゃないですか。
すると、出るわ出るわ……。
問題が続出です(笑)
近づき過ぎると傷ついて……。離れすぎるとなんだかさみしい……。
そんな経験を繰り返して、結果「その人との適切な距離」が分かってきます。
人間って、そんなに利口でもなければ、鋭くもないですから、出会った瞬間に「適切な距離感」なんて分からないですものね……。
そうして私たちは、実は「あらゆる人と、適切な距離」が存在し「その距離をお互いに測り合っている」のではないでしょうか……。
「特に深いお付き合いを望む訳では無い人」とならば、始めから「適切な距離間」がとれるかもしれませんが、自分が魅力を感じている異性だったり、利害がある人だと欲が働いて、適切な距離間が分からなくなってしまうのかもしれませんよね……。
おしゃかさまは「人は、自分の欲望によって、苦しみを自ら作り出している」といいました。
その姿を「無明」と呼んだそうですが、本当に人間って、そうやって「自分の欲望で苦しみながら適切な姿を学習していく」存在なのかもしれませんよね(笑)
よい距離間になった話。
私は、以前のブログでお話した事があるのですが、はじめてお付き合いした彼女が「自律神経失調症」でした。
お付き合いしていた時は毎日のように喧嘩をしていて、私も彼女も苦しんでいました。
それからその彼女(Aさん)とは別れる事になったのですが、別れた直後から、Aさんの「新しい彼との恋愛相談」を受けていました。
当時「よくそんな相談受けれたね~」と言われましたが、もうその頃にはAさんに対して「恋愛感情」を持っていなかった事と、当時の私は「自己肯定感」が低かったですから、単純に頼ってくれる事が嬉しかった、というのもあったと思います(自分を心理分析してみると……)。
そんなあるとき、Aさんから「くていさん、くていさんはやさしいな……。いつも私の話を聞いてくれてありがとう……。私、なんで、くていさんと別れたんやろう……」と言われたんです。
場合によってはロマンチックな場面でしょう(笑)
でも私は、反射的に「それは違う」と思ったんです。
「Aさん、それは違うわ。たぶんこれって『僕が他人やから』話が聞けるんやと思うよ。なぜなら、Aさんの相談内容って、僕と付き合っていた時に二人の間で起こっていた問題とほとんど同じだから(笑)」
「今の彼氏との関係の中の話なら『それはAさんも大変やね~』と言えるけれど、僕に降りかかってきていた問題だったら笑えなかったもの……。僕がやさしいんじゃなくて、僕が他人だから(冷静に)話を聞けるんだよ」と話しました。
実際、別れてからの方が、Aさんと良好な関係を築けていたんですよね……。
「だったら初めから付き合わなければ良かったんじゃん」と言われるかも知れませんが、私もまた不完全な人間です……。
私たち人間は、押したり引いたりしながら……ちょうどお互いの「収まり処」を見つけていく……。
それが我々の「人間関係」の姿なのではないでしょうか……。
まとめ
ベストな距離間。
私は以上の体験から「私たちには、すべての人と、それぞれに適切な距離間が存在する」んじゃないかな~と感じているのです。
私は、親だから「一緒にいなければいけない」。夫婦だから「一緒に住まなければいけない」。恋人同士だから「毎日一緒にいなければいけない」という事はないと思いのです。
例えば「親孝行をする事と、一緒に住むことは決してイコールではない」じゃないですか……。
「夫婦だから一緒に住むこと」や「恋人同士だから一緒にすむこと」と「愛の深さ」も決してイコールではありません。
離れているからこそお互いを大切に思えたり、一緒に住みだしたからこそ破綻してしまった夫婦の話なんて……よく聞きます。
人は多様ですから、それぞれの人間関係の中で「適切な距離」というのがあると思うのです。
そしてお互いに「適切な距離間」が保たれた時に、適切に相手を思う余裕や関係性も生まれ、友好な関係が築けるのではないかと私は思うのです……。
いまの形がゴールでもない。
しかし、ここでの見逃せないポイントは、その「距離間や関係性は日々変化していく」という事です。
すべては「諸行無常」ですからね。
「今、お互いにとってのよい距離間が、将来もよい距離間であるかは分からない」という所です。
子供の頃はある程度、親に守られている事が「適切な距離間」かもしれませんが、大人になってまでずーっと親とべったり、親のいいなりだったら、ちょっと問題かもしれませんよね……。
親が年をとって動けなくなったら、それにあわせて(それまでの関係性の中で)適切な距離間を構築しなおすこも大切だと思います。
昨日まで敵対していた人とある日突然仲良くなる事だってありますよね……。
適切な距離間は存在しますが「常に変化もし続けている」という事です。
適切な距離間で、心も変化する。
先の話に出てきた「虐待する父親」を持っていたBさんも、県外に引っ越しし、父親と「物理的な距離間」が出来たことによって関係が改善されていきました。
たまに実家に帰ると、お父さんはやさしく出迎えてくれるようになったそうです。
Bさん自身も、地元にいる時は「呼び出されたらすぐにでも家に帰らないと怒られる」とビクビクしていましたが「自分がいなければ、いないように廻っていく」と覚悟を決められた事によって、今は心に余裕ができ、明るい気持ちになれている、と言っていました。
現在は年に一度ほど家に帰るようですが「お父さんも弱ってきたし、帰った時くらいは親孝行してもいいかな、と思えるようになった」と言っていました。
これ、もし「最近、お父さんが弱ってきたから」とまた地元に帰ってきたら、以前とおなじような関係に戻ってしまうかもしれませんよね。
いまちょうど「お互いを思いやれる」くらいに「良い距離間」って事なんだと思うのです。
適切な距離間あっての「理想」「道徳」
最初のMさんの話に戻ります。
わたしは話を聞いていて「今、二人は、ちょうどよい距離間」なんだと思いました。
近づき過ぎると傷ついてしまう。……離れすぎるとさみしい……。
ちょっとしたやさしさに感動できるくらいの「ちょうどよい距離間……」。
「親なんだから……夫婦なんだから……恋人同士なんだから……友達なんだから……」
もちろん仲良くあるに超したことはないと思いますが、それは「それぞれに適切な距離間」があっての事だと私は思うのです。
道徳とか「こうあるべき」姿って、あくまで「理想への方向性」であって、適切な距離間が保たれているからこそできる事なのではないでしょうか……。
そんな事が省かれて、道徳的な事ばかり強調されても、本当の問題解決には到れないのではないかと私は思います……。
今、いろいろな人間関係の中で苦しんでおられる方が、相手との「適切な距離間」を見つけて心が少しでも楽になってくれたら……と思い、このお話を投稿させて頂きました。
生きとし生けるものが幸せでありますように。
くてい 拝