仏事相談を受ける事があります……の話。(仏教以前⑨後編)
前編をまだお読みでない方は、こちらから先にお読み下さいね。
- 仏事について悩んでいる方。
- 仏教について、これから学びたいと思っている方。
- 宗教・宗派の「〇〇だけが正しい」という話に疲れてしまった方。
形にも意味がある。
逆もまた真なり。
しかしもちろん「形」にも意味があります。
「形より心の方が大切」なんですから、例えば仏壇は基本「黒色」ですが「おばあちゃんがピンクが好きだったから」とピンクの色にしたってもいいかもしれません……。
または「おじいちゃんが好きだったから」と仏壇にキムチをお供えしてもよいと私は思うんです。
または結婚式だって、新郎新婦が花より「サボテンが好き」というのならサボテンをお祝いに送ったっていいのかもしれません。
でも、何か微妙な感じもすると思うのです。なぜなら、ここで問題になってくるのは、法事や結婚式に参加する人たちのすべてがそれを観て「同じ気持ちにはなれないかもしれないかもしれない」からです。
いくらおばあちゃんがピンクが好きだったからといっても、法事をする時に仏壇がピンクだと……集まった親戚の皆さんが同じ気持ちではお参りしにくくなります。
人によっては不快に感じる事もあるでしょう……。
いくらおじいちゃん、おばあちゃんがキムチが好きだったからといっても、ニオイで周りが不快になれば厳かな空気も保ちにくくなりますよね……。
祈りの場所とは思えなくなるかもしれません……。
結婚式でサボテンを送っても……喜んでくれるかもしれませんが、皆が皆、そこに祝福を感じれるか……というと、ちょと疑問です……。
もしかすると「何かののろい……?呪術……?!」と、疑われるかもしれません……。
それよりは明るい色のお花を贈った方が「あぁ、この人は祝っているんだな」という気持ちを皆と共有しやすいですよね……。
法事でも、祭壇に位牌や遺影をお祀りし、お花やロウソクを飾れば「あぁ、これは亡くなったひとをお祀りしている祭壇なんだな」と「共通認識」がしやすくなります。
これが形(型)の力、といえます。
先ほどもお話した事ではありますが、人は同じ形を共有する事で、同じ気持ちを共有しやすくなります。
感謝を贈りたいときに花を持っていけば「あ、感謝を贈ってくれているんだな……」と思えます。
フライパンを贈っても、その気持ちは伝わりにくいかもしれませんよね……(笑)
皆が共有する「型」も実際に存在し、その型を使う事で「同じ気持ちを共有」しやすくなれる、という訳です。
喩えれば、料理をレシピ通りに作れば、同じ同じ味を皆が「共有しやすくなる」といった所でしょうか……。
形よりもちろん心の方が大切、なのですが、形の力も又、無碍にはできないものなのです……。
三方よし。
滋賀には近江商人という方々がいて、彼らには「三方よし」という考え方があったそうです。
「三方よし」とは「売り手よし、買い手良し、世間よし」の三つが揃う事で、よい商いとは、売り手も買い手も社会もそれぞれが満足できるものである、という事なんだそうです。
これは今回の仏事の話に対してもいえる事だと私は思っています。
もちろん「こうした方が、より仏教的には正解」って事はあると思うのです。
「私は、こうしないとちょっと苦しい」という自分の意見もあると思うのです。
「世間的にはこうして欲しい」っていう、所属する地域やお寺のルールなどもあると思うのです。
しかしそれぞれが「正しさ」を主張していてもお互いに苦しいだけです。
時代にあわなくなってしまった事もあれば「正しさが通用しきれない時」もありますよネ……。
それぞれがちょっとずつ歩み寄るか、自分の思いを実現したいのなら、実現できる環境に自分を変えてしまうのか……だと思うのです。
ようはこれもバランスですね……。
自分で決断する。
いくら三方よしの答えを選ぶとしても「最終的に自分で考え、調べ、納得し、主体的に選択すること」は大切であると思います。
「私はこうしたい」と思っていても、周りから「こうするべき」といわれると、そうかな~、と思い「ま、三方よしだし、合わせとけばいいか……」とつい自分の意見を引っ込めて「周りに合わせる」という方法を選びがちな人っていると思うんです。
それが苦痛になっていないなら、それでよいと思うんですよ。
しかしそうであっても「言われたままに合わせているだけ」といった態度はきっと、これからもいろんな場所で出てきてしまうと思うんです。
だからこそぜひいろんな事の根拠を調べて、自分で納得して選んで下さい。
人生の決定権はあなたにあります。
例え他人の選択に合わすとしても、選択したのは自分、という事です。
ただ、いろいろな事をいちいち調べるのは大変だと思うので……そんな時は私のブログ「信じるとそう顕れるの話」や「信じること」と「信じない事」を読んで参考にしてみてくださいね……。
まとめ
如何でしたでしょうか。
仏事の話を知ろうと思ったら、専門家とか、お年寄りにきくとか、本を読むとか、インターネットで調べるしかありませんよね……。
ただその課程で、いろんな意見を聞き「え⁈なんでそんな事しなきゃいけないの?」って疑問がう浮かぶ事って多々あると思うんです。
で、結論から言うと、ブッタは「そんな事に囚われるな」くらいの事を言っているんですけれど、現在は「仏教」の名の下に、「さまざまな見解が存在している」んですよね……。
そりゃ~仕方なですよね。これだけ人類が多岐に渡って発展していけば……さまざまな見解が生まれてくるのは当然です……。
そしていまさらその全てを「一つの見解に統一する」なんて事はできません……。
私の仕事は何より「人の気持ちを楽にする事」だと思っていますので「〇〇しなきゃならない」「〇〇するべき」と言って苦しんでいる人がいたら、ここまでの話をして「ね、いろんな考え方があっておかしくないんだから、最終的にはあなたが一番良いと思う選択をしてもいいんですよ」とお話する事だと思っています。
考え方の違いから他者と争う必要もないと思っていますので、周りと対立せず、かつ、それぞれの立場も尊重し、共存できる道を模索した上で……最終的には自分の落とし所を見つけて自分で考え、自分で答えを選んでほしいな……と常に思っているのです。
それがブッタの教えでもあるからです。
生きとし生けるものが幸せでありますように……。
くてい拝