形として拝むか、拝まないか。それが問題だ。(仏教以前③後編)
前編をまだお読みでない方は、こちらから先にお読み下さいね。
- なぜ宗教には神像や仏像があるのか疑問な方。
- 仏教について、これから学びたいと思っている方。
- 宗教・宗派の「〇〇だけが正しい」という話に疲れてしまった方。
名と形
心の世界
続いて、心理学の世界から考えてみたいと思うのです。
心理療法の中には、形のない心に一旦「形を与える」事でクライアントの心の状態を変化をさせる、というテクニックがあります。
例えば
くていさん。最近、友人と喧嘩をしたんです。
腹が立って、腹が立って、仕方がないんです!ムキー!
でも、そのせいで、夜、眠れないのは辛い……。
何か、良い方法はないでしょうか?
なるほど。それは辛いですよね……。
それでは、まずその怒りの感情をちょっと、思い出してみて欲しいんです……。
今、思い出す事はできますか?
そんなのすぐ思い出せますよ!ムキー!
では、ちょっと、想像してみて欲しいんですが……。
…………。
今の気持ちを色で例えると、どんな色をしていますか?
色、いろ、ですか?
それは……ドス黒い……赤です……。
おぉお……。どす黒い赤、なんですね。
かなり怒っているようですね……。
それでは、そのどす黒い赤いものを……あえて形で顕すとしたら……。
どんな形をしていますか?
形……ですか……。トゲトゲのついた鉄球のような……。
そんな形デス !
トゲトゲのついた鉄球のような形……。
もう、武器じゃないですか!
その武器、その重さは……。
ずいぶん重そうですが……。
はい。そりゃ、もう、重いです。ここから動きません。
ちなみに、バックミュージックも聞いてみましょうかね。
この怒りの感情に対して……。
いま、うしろではどんな音楽がながれていますかね?
例えば……例えば、でいいんですよ。
バックミュージック……。例えば……。
例えば……。うん。ハードメタルな音楽ですね‼
デスボイスと、歪んだギターの音がうるさいくらいの……。
そんな音楽がギャンギャン鳴っている感じがします……。
デスボイスがギャンギャン……。にゃん太さんの怒りの深さを感じる気がします……。
ではね、例えば、例えばなんですが……ドス黒い鉄球の色を……ピンク色にしてみる事はできますか?
ピンクですか……。ピンク……。やってみます……。。。
はい……たぶん……できました……。
それではさらにね。ピンク色にトゲは似合わないから……。
トゲをボロボロ、落としていきましょう……。
トゲがボロボロと……落ちていきます。
はい。…………どう変わりましたか?
えっ。あー。う~ん……。
落ちていきました……。
ポロポロ。ポロポロ……。。。
………………。
そうですか……。
それでは、そのピンクの丸い……。
そのピンクでまん丸い……。
風船のようになってしまったような……。
その風船のようなものが……。
軽い……。軽く、ふわ~っとなって…………。
そう、風船のようにふわ~っと風に乗って飛んでいきます……。
…………どうなりましたか?
あぁあ。風船みたいに飛んでいきました。
空の向こうに………………。
………………。
さらに、バックミュージックも、もう変わっちゃってると思うんです。
どんな音楽に変わってますか?
童謡……。童謡が聞こえます。
シャボン玉の唄のような……。
……。はい。ありがとうございました。
いま、最初と比べて、どんなカンジに変わりましたか?
あれ?さっきまであった心のモヤモヤが無くなった気がします。
では、あえて、そのお友達と喧嘩したことを思い出してみましょうか……。
はじめと比べてどうでしょうか?
あれ?思い出そうと思してみても……。さっきまでのように怒りがわいてきません……。ちょっと思い出せない……。
なんだかスッキリした不思議な気持ちです……。
それじゃあ、今日の夜はぐっすり寝られそうですかね!
良かったです!
ありがとうございました!
如何でしょうか。
これは心理療法の一例です。
心には本来、形がありません。
形が無いと、触れることも、ましてや変化させる事も難しいんですよね……。
そこで、あえて、心に形をつけてみるんです。
形があれば、書き換える事も、変化させる事も、移動させる事も可能ですからね……。
これって、先の「無限なままではお祈りは出来ないから、神さまを擬人化して祈る」によく似ていると思いませんでしょうか?
逆もまた真なり。
世の中には「偶像崇拝するな!」という宗教もあります。
それは当然で「無限なるものを、無限なままで拝みたい」という人からすれば、
「なんで俺たちが大切にしている『絶対(無限)神』を限定するんだよ!」となりますよね……。
この理由は、とてもよく分かります。
無限、なんですから、理屈からして限定されたらおかしいんです……。
しかし、インドの昔の人達はこう考えた訳です。
「無限は無限のままでは拝めない。だから限定を通じて、その背後にある無限を祈りましょう」と……。
これは「どちらが正しい」という話ではありません。
でもこうした考え方を知っていると……相反する考え方の、どちらも許容できるポイントが……見えてくるような気がしませんでしょうか……。
特にこれから、世の中の多様性が許容されていく時代に於いて、こうした考え方が、みんなの違いをうまく結びつけてくれるような気が、私はするんですよね……。
まとめ
如何でしたでしょうか。
たとえば、好きな人に花束を贈るのも……。
心だけでは伝わりにくい想いを「形に顕して」いるのですよね。
時がたって……。
「気持ちは言わなくったって伝わる」と思っていても……。
なかなか心は伝わりにくいようです……。
そんな時は、心を形にすると、伝わりやすいカモ……。
これは人としての性質らしいですヨ(笑)
私たちは「形」がないと、心を向けることも、心を顕す事も難しいようなのです。
昔の人はこうした法則を知っていて、宗教においても「形を使って顕そうとした」のですね。
そう考えると分かりやすいのではないでしょうか。
しかし、逆もまた真なり、なのです。
本来、形のないものに形を与えてしまうと、特定の形に「囚われて」しまいますからね……。
この二つの側面をバランス良く受け取ることで、どちらにも偏らない
「新しい時代の、対立の無い受け取り方」に至れるのでないでしょうか……。
生きとし生けるものが幸せでありますように。
合掌 くてい 拝