ブレイクブログ「大体のことは乗り越えられる!」(後編)
前回の続きです。
前回の出来事から十年ほどたち、私はお坊さんの資格を頂戴して、地元のお寺で師匠のお手伝いをしていました。
そんなある日、地域の子供が私のお寺に相談に来たときの話になります……。
ちなみに私がちょっと変わったお坊さんで「出来なかったら、出来ない事を武器にすればいい」(ぜひ、まだの方は下記のブログ「答えはひとつじゃない」も読んでみて下さい)なんて事を言い出してしまうような人物である事を知っていての相談です。
そう考えている私の所に相談に来たのですから……そりゃ~まぁ、こんなやりとりになります……。
それでは続をどうぞ!
- いま、行き詰まりを感じている方。
- ちょっとした笑いが欲しい方。
- 世間の「〇〇だけが正しい」といった考えに疑問をかんじている方。
答えを答えるだけが、答えじゃない。
くてい流指導法。
あれから十年後の正月、僧侶の資格を取った私の元に、近所の子供が悩みを持って相談にやって来ました。
たかし(仮名)、という、とっても素直な少年です。
たかし「くていさん、相談があるんやけど」
くてい「なんや。たかし。聞いたるがな。」
たかし「僕『青少年育成ポスター』の宿題が出て、下絵は描いたんやけど、うまく描けなくて……」
くてい「ほー。青少年のポスターね……、俺も描いたことあるな。(果たして描いたと言えるのか疑問ですが)……。うん、描いたの見せてみ。」
たかし「うん。これなんやけど」
たかし「これ下絵やから、自由に書き足してくれてもええで!」
そういって、たかし少年は、描いてきたポスターを広げて観せてくれました。
『大人は見て見ぬふりをする』(本当は少し違うのですが、たかしのプライバシーと、著作権保護のため変えています(笑))
「たかし、ええやんか。何が問題あるの?」
「だって、普通やん」
「普通って…。普通ってないぜ。充分、たかしのいい所、出てるぜ」
「う~ん。そんでもさー。なんか変わったことしたいねん。くていさん。何かアイディア無いかな~。」
「そうか……。そんなに言うなら……。」
「たかし、これ、破け。」
「え?破けって・・・?」
「こんなもん、真ん中、破いてしまえ!」ビリビリビリ
「『二人の間には溝がある。』や!」
「えっ?くていさん、ポスターって破いていいの?」
「そんなもん知らんけど、破ったらあかんて書いてなかったやろ?知らんけど……。」
「そんでな、たかし。こんなもん、真ん中、折れ!折ってまえ!」
「えっ?!」
「『二人の間には段差がある。』や!」
「えっ?くていさん、ポスターって折っていいの?」
「そんなん知らんけど、折ったらアカンって書いてないやろ。知らんけど……」
「なるほど……。」
たかし少年はとっても素直でいい子なんです。
「あとな。たかし。この破った所から遮断機、出せ!」
「『二人の間は遮断されている。』や!」
「くていさん。立体になったら工作にならんかな……?」
「たかしお前……。えらい哲学的な事言うな……。でもな、たかし……。ポスターは平面って、だれが決めたねん。たぶん大丈夫や……。たぶん、な……。」
「なるほど!くていさん、すごく参考になったわ!今から帰って描くわ。ありがとー!」
「おー。そうか。ま、自分でも考えて……いいの描けるといいな……。」
そうして、素直なたかし君は家に帰って行きました。
ここまですべて、お寺の中であったやりとりです。
我ながら、けっこう、シュールですよね(笑)
その後のたかし
それから一ヶ月後、偶然会った、たかしに、例の宿題の事を聞きました。
「たかし、例のポスターどうなった?うまく描けたか。」
「うん。ありがとう。くていさん。あれから、くていさんが言ってくれたことを参考に描いたんやけど、怒られるかもしれんから、普通に描いたのと二枚描いて持って行ったよ。」
「たかし。律儀やな。作業、二倍になったんやな……」
私に相談したが故に、たかしの作業は二倍になったようです……。
それからのたかしは少々先生に目をつけられるようになってしまったとか……「ちょっと変わった生徒」として……。
あとがき
現在のたかし
如何でしたでしょうか。
たかしは今ではりっぱな社会人として活躍しています。
何か悩み事があったり、人生で大きな転換を迎える時には今でも私を訪ねて来てくれます。
たかしは会社でも「もし採用されなくても、他の社員を笑わすくらいはしてやろう」くらいの気持ちで積極的にアイディアを出し、仕事に向き合っているで「たかしは仕事が楽しいやろうな~」と、うらやましく思う事もあります。
私も自分の仕事でそうありたいな~、とその姿に学ばせてもらっているくらいです。
本当は縛られていないはずの心。
私も何か問題が起きたとき、普通に落ち込みます。
そんな時、自分を落ち込ませ続けているのは、自分の中にある「正しさ」に対してだったりします。
何かの正しさに反する事が起こったからこそ落ち込み、自分を責めている……、って事が多いですよね……。
私たちは(真面目な人ほど)「正しさ」に従おうとします。
もちろんそれは悪い態度ではないと思います。
しかし「その正しさが何処から来ているのか」を見失って「正しくあること」にばかり目を向けている人も多いように思うのです……。
でも、例えば、なんですが、ふと思い直してみて「この話、外部の人が観たらどうおもうだろう」とか「芸術家ならどう受け止めるだろう」とか考えだすと、正しさの方向性のちょっと変わり「この世界の捉え方」がずいぶん変わってくるように思えたりします。
私はワクワクしてきます(笑)
「あ、ここからまだいける……」って(笑)
私はお坊さんになって「人は常識といわれているものに自分から拘束されているんだなぁ~(自縄自縛じじょうじばく)」と学べたので、なおさらこうした発想が大切だなぁ~と思ってしまうのです。
ま、それにしても私の、ひどいエピソードだとは思いますが(笑)
今回の前、後編の話で、クスッと笑って元気になってくれる人がいたとしたら……うれしいです。
生きとし生けるものが幸せでありますように。
くてい 拝。